カッパがはなみずをくれるというのでイヤだけどもらう。
いつまでもイヤな表のシゴトを続けていると、「愁いが心の中に湧いて」まいります。
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二月頻送客、 二月しきりに客を送り、
東津江欲平。 東津に江平らかならんと欲す。
春、二月。しきりに客を送別する。
東の船着き場は、(雪解けの水が増えて)江の水面が岸辺と等しくなるほどである。
船出の季節なのだ。
煙花山際重、 煙花は山際に重く、
舟楫浪前軽。 舟楫は浪前に軽し。
かすんだ花は山のあたりにぽってりと重く、
舟の楫は川波のこちら側で軽々と動く。
その船着き場のあたりで送別の宴を張るのだが、
泪逐勧杯下、 泪は勧むる杯を逐いて下り、
愁連吹笛生。 愁いは吹く笛に連なりて生ず。
なみだは、酒を勧めあう盃を下ろすと、その後を追っていくかのように頬を流れ落ちる。
うれいは、笛を吹いて奏でられる哀切な別れの曲と並行して、心の中に湧いてくるのだ。
離筵不隔日、 離筵、日を隔てず、
那得易為情。 那んぞ情を為すこと易きを得んや。
別れの宴が連日開かれているのである。
どうしてこの別離の感情を詩にすることが、たやすくあろうか。
このとき、作者は四川の梓州にあって、しきりに郷里に帰りたがっていた。自らはこの地を離れることができない一方、親しいひとたちを毎日見送らねばならない。その悲哀の感情を五言律詩にまとめたんですね。
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杜甫「泛江送客」(江に泛びて客を送る)。杜甫先生も毎日飲み会はツラいかも知れません。おいらは今週はあと飲み会は金曜日だけ(メンバーきついが)。来週は二回。イヤとはなかなか言いにくい。なお、先生は広徳元年(763)五十二歳(←おいらより若い)。この年夏、吐蕃(ちべっと族)が侵入し、四川一帯は大混乱に陥るのですが、春はまだのどかだったみたいです。