「おばかでちゅねー」→万愚節に恋うちあけしあはれさよ 安住敦(1907〜88)
万愚節。という言葉を聞いただけでワクワクする。史上マレに見る弾圧を受けた三月も終わり、しかも金曜日。シアワセになれるかも! と思ったのだが・・・。
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まだ四月なので二か月さきのことなんですが、
六月九日、夜夢至一区。
六月九日、夜、夢に一区に至る。
六月九日の夜、夢の中でとその場所に行った。
そこは、
雲廓木秀、水殿荷香、風煙郁深、金碧嵯麗。
雲の廓に木は秀で、水の殿に荷は香り、風煙は郁として深く、金碧は嵯として麗なり。
雲に埋もれた廊下の回りには木が茂り、水の中の宮殿のあたりにはハスの花が香っていた。風にそよぐ霞はふくよかで深く、黄金や碧玉はたかだかと美しく聳えていた。
夢のような風景であった―――夢の中ですから当たり前だが。
時也方夜、月光呑吐、在百歩外。
時やまさに夜、月光呑吐し、百歩の外に在り。
ちょうど夜のたけなわなるころ、月は光を吐いたり呑み込んだり、あたりは明るくなったり暗くなったり。―――その楼閣は百歩ほど向こうにあった。
蕩瀣気之空濛、都為一碧。散清景而離合、不知幾重。
瀣気(かいき)を蕩かしてこれ空濛、すべて一碧となる。清景に散じて離合し、幾重なるかを知らず。
「瀣」(カイ)は「水気」。
水気は空中に上がってとろけ、むなしくもやって、なべて紺色に変じていく。さやかな風景に散って離れたり集まったり、幾重にも重なる霧の帳が降りているのだ。
ふと、
一人告予、此光明殿也。
一人、予に告ぐ、「これ、光明殿なり」と。
誰かが耳もとでささやいたのだ。
―――ここが、光の宮殿よ・・・。
と。・・・・・・・・・
醒而憶之、為賦両解。
醒めてこれを憶うに、賦を為すこと両解なり。
目が覚めた。
「夢だったのか・・・」
夢の中のあのひとは誰だったっけ。とてもなつかしいひとだ。
そのことを思って、二連の詩を作った。
明月処、浄紅塵、蓬莱幽窅四無隣。 明月の処、浄き紅の塵、蓬莱幽窅として四もに隣無し。
九霄一派銀河水、流過紅墻不見人。 九霄一に派す銀河の水、流れて紅墻を過ぎるも人を見ず。
明月の下、光を受けて赤らんだ清らかな霧のたちこめる場所、蓬莱のような仙界は、はるかの彼方、どこからも独立した土地。
九層の空から一すじに、銀河の水が流れて赤い垣根を過ぎていく。けれどあのひとの姿はどこにも見えない。
「ああ!」
と、跳ね起きた。夢から醒めたのだ。
驚覚後、月華濃、天風已度五更鐘。 驚き覚めるの後、月華濃にして、天風はすでに度(わた)す五更の鐘。
此生欲問光明殿、知隔朱扃幾万重。 此の生に光明殿を問わんとするも、知んぬ、すでに朱扃(しゅけい)幾万重を隔つ、と。
「扃」(けい)は「かんぬき」「かんぬきをかけた扉」。
目覚めたあとの現実の世界では、月の光こまやかに、空行く風はすでに夜明け近い五更の鐘の音を運んでくる。
ぼくは知っている。この人生でもう一度、光の宮殿を訪ねようとしても、そことこの世界との間を鍵のかかった朱色の扉が何万枚も隔てているのだ、ということを。
誰かこの詩を夢の中のあのひとに届けてくれないか。
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夢の世界は遠いですね。清・龔定盦「桂殿秋」詞。龔定盦がこの詞を作ったのは十九歳のときで、そのころ彼に手の届かない思いびとがいたのであろう。
・・・おいらが求めるのはそんな遠くはるかなモノではなくて、ただの平和な週末なのですが、なんとなんと明日出勤に。史上まれにみるほどの絶望の一週間を生きて過ごし、来週にまた多くの絶望的宿題を抱えているのに、そのおいらに与えられた報酬が、これだ。絶望が深まるばかりだ。
そういえば今日はこのHPを見ている、という珍しい人と出会った。ホントに? あるいはもしかしてエイプリルフール?