平成28年3月30日(水)  目次へ  前回に戻る

天辺に水あるごときさくらかな 萩原麦草(1894〜1965)

ほんとに力尽きてきた。なんとまだ平日二日もあるし・・・。

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たとえば

乗舟而遇逆風、見揚帆者不無妬念。

舟に乗りて逆風に遇うに、帆を揚ぐる者を見れば妬念無くんばあらず。

船に乗っていて向かい風に会ったときに、向こうから帆をあげて順風をはらんで来るやつをみると、ねたみの心がどうしても起こってしまうものだ。

しかしよくよく考えてみるに、

彼自処順、于我何関。我自処逆、于彼何与。

彼みずから順に処るに我において何の関することあらん。我の自ら逆に処るに彼において何の関することあらん。

やつ自身が順境にいるということが、わしに何の関係があるのだろうか。わし自身が逆境にいるということが、やつに何の関係があるのだろうか。

つまり、

究竟思之、都是自生煩悩。天下事大率類此。

究竟これを思えば、すべてこれみずから煩悩を生ず。天下の事、大率(おおみね)これに類す。

結局のところ、いろいろ思いあわせてみると、あらゆることは自分が悩み苦しみを作っているのだ。この世のことは、たいていこんなものなのだ。

そうかも。

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明・陳継儒「安得長者言」より。今の境遇を棄ててしまえば、今持っている悩み苦しみはだいぶん減るような気がします。というか確信あり。

 

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