「いんいん」と鳴り渡る勇壮なブタ太鼓の音を聞け。
サクラ咲いてきました。が、寒い。
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今晩は桃郷都内、雨は降っていないが、さっきからひっきりなしに「ごろごろ」と春雷が聞こえます。
この「ごろ・ごろ」を古代チャイナびとは「いん・いん」と聴いた。
「殷」の字を当てます。(石ヘンに「殷」を書いた「イン」という字がカミナリの音としては正しいそうです)
殷其靁、在南山之陽。
殷たるその靁(らい)、南山の陽に在り。
「いんいん」というあの雷は、南の山の南麓で鳴っている。(季節は変わったのだ。)
それなのに、
何斯違斯、莫敢或遑。
何ぞ斯(こ)れ斯(こ)こを違(さ)りて、あえて遑(いとま)あること莫きや。
どうしてあの人はここに戻って来ないのか、戻ってくるいとまもないのだろうか。
振振君子、帰哉帰哉。
振振たる君子、帰らんかな帰らんかな。
「振振」は信義に篤いさまだそうです。
信頼できる立派なお方、帰ってきましょう、帰ってきましょう。
「詩経」召南「殷其靁」(いんきらい)。
どういう意味なんでしょうか。
漢代以来の伝統的な解釈である「毛伝」(詩経に関する「毛氏の説」)の「序」によれば、
召南之大夫遠行従政、不遑寧処、其室家能閔其勤労、勧以義也。
召南の大夫、遠く行きて政に従い、寧処にいとまあらず、その室家よくその勤労を閔し、義を以て勧む。
「召南」の篇に出てくる大夫は有能なので、遠いところまで出張してまつりごとに参加していて休むひまも無い。その奥さんは彼の勤労を心配しながらも、道義を以てしごとにがんばるように勧めた、という詩である。
というのです。
が、これでは「帰らんかな、帰らんかな」の意味が無くなります。
だいたいニンゲンの情としてそんな「うた」が何世紀も歌い継がれるものでしょうか。
南宋の朱晦庵はこれに異を唱え、「詩集伝」の中で、この詩は「思婦詩(夫を思う妻の歌)である」と喝破した。
南国被文王之化、婦人以其君子従役在外而思念之。故作此詩。
南国も文王の化を被り、婦人その君子の役に従いて外に在るを以てこれを思念す。故にこの詩を作る。
おおむかしの南の国は原始国家だったので、男女の関係は自由奔放であった(と思う)。ケシカランことだ。ところが、
周の文王さまの聖徳がだんだんと広がって、南の国にも及んだ。このため、婦人も(道徳的になって)その夫が公務のために遠くに行くと(自由奔放な生活をせず)、夫のことを思うようになった。そしてこのうたを作ったのである。
と解釈しました。
すばらしい。なんとか人情に沿った解釈が出来ました。
この朱子の解釈で十分だと思うのですが、肝冷斎一派は「詩経」の詩を「古代祭祀歌謡」として解釈しようとしているので、この詩も、春か夏の初めのお祭りの「神聖演劇」の歌ではないかと考察しています。
・・・お祭りの日は、日暮れごろ、「いんいん」たる雷の音が聴こえはじめる。(ただしこれは若い衆の打ち鳴らす太鼓の音であろう)
やがて、南の山に棲む雷の神様(豊穣をもたらす)を呼び出すために、女声コーラスが、
どうしてあの人はここに戻って来ないのか、戻ってくるいとまもないのだろうか。
信頼できる立派なお方、帰ってきましょう、帰ってきましょう。
と呼びかける。その呼びかけに応じて南山の雷神(に扮したやつ)が闇の中から現れる―――という舞台があったのではないでしょうか。(どうせやってきた雷神さまはオカメみたいな仮面をかぶったやつと高千穂神楽みたいにエロチックな所作事などをして豊穣を予祝する程度のことをするだけだと思いますケド。)
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「帰らんかな、帰らんかな」と誰かが呼びかけてくれるわけではないが、今日は何とか帰ってこれました。しかしまた明日が来る。明日こそもう帰ってこれないぐらいになると思われています。