ハタラキバチは働けども。
仕事面ではすべては破滅しつつある。祈ることさえもう無駄かも知れぬ。
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昨日の続きです。お彼岸の中日は一昨日だったので、今日がお彼岸の最後の日でした。今日中に終わらせないと・・・。
・・・バスミータさまが善財童子に対して言いますことには、
善男子、過去有仏、曰常住如来。
善男子、過去に仏有り、常住如来と曰う。
「かわいい童子ちゃん、むかしむかしほとけさまが現れたのです。「つねにいます如来さま」とおっしゃられました」
この如来は、もろもろの衆生たちがかわいそうでならず、「安楽城」という町に入られると、
足蹈門閫、即時大地六種震動。
足にて門閫を蹈むに、即時に大地六種に震動せり。
おみ足を以て、城門の敷居をぎゅぎゅっとお踏みつけになられましたところ、ただちに、大地が六種に震動したのです。
すると、
其城自然奇妙広博、衆宝荘厳、散諸雑華、自然演出娯楽之音、放大光明、一切諸天充満虚空。
その城、自然に奇妙に広博し、衆宝に荘厳せられ、諸雑華を散らし、自然に娯楽の音を演出し、大光明を放ちて、一切諸天虚空に充満せり。
その街は、おのずから不思議に広がり、あらゆる宝石に飾られ、空からはさまざまな花びらが降り注ぎ、さらにおのずからの楽しい音が鳴り始め、光を放ちながら、あらゆる神々が集まってきて、街の上空に満ち溢れられたのです。
わたしはこのとき
為長者婦、名曰善女。
長者の婦たりて、名を「善女」と曰えり。
ある大富豪の妻で、名前は「善なる女」と申しました。
わたしは夫の長者とともに道に出て、この不思議な現象を見、如来に妙なる宝石で飾った冠を捧げたのです。
時文殊師利為仏侍者、為我説法、発阿耨多羅三藐三菩提心。
時に文殊師利は仏の侍者たりて、我がために説法し、阿耨多羅三藐三菩提(アノクタラサンミャクサンボダイ)心を発せしむ。
その時、マンジュシリー菩薩さまは如来のお側近くにお仕えしておられ、わたしたちのために説法してくださいました。そこで、わたしは「無上のさとり」に向かおうとする心をひらかれたのです。
「へー、文殊菩薩に導かれたのでちゅね」
善男子、我唯知此離欲実際法門。
善男子、我はただ、この「離欲実際法門」を知るのみ。
かわいい童子ちゃん、わたしはこの「欲望を離れて真実に近づく法の門」を知ってるだけなんですよ。
もろもろの大菩薩たちは、はかりがたい手法で智慧を納める広大な叡智の蔵を完成させておられます。彼らの智慧の蔵の境界線は誰にも壊すことができませんから、そこから入り込むことはできないのです。
「バスミータさまにもできないのでちゅか」
善男子、於此南方有城、名首婆波羅。彼有長者、名曰安住。彼常供養栴檀仏塔。汝詣彼問、云何菩薩学菩薩行、修菩薩道。
善男子、この南方において城有り、「首婆波羅」と名づく。彼しこに長者有り、名づけて「安住」という。彼、常に栴檀の仏塔を供養す。なんじ、彼に詣りて問え、いかんが菩薩は菩薩の行いを学び、菩薩の道を修むるかと。
かわいい童子ちゃん、ここからまた南に行くと都市があります。「シュバーバラ」といいます。そこに富豪の「安らかに暮らす」という方がおられます。そのひとは、つねにセンダンで造った香のよい仏塔を拝んでいます。おまえはそのひとのところに行って、「ボサツはどうやって、ボサツのなすべき行いを学び、ボサツの道を修行するのですか」と訊ねてみなさい。
「わっかりまちたー!」
善財童子、頭面敬礼彼女人足、乃至辞退南行。
善財童子、頭面にて彼の女人の足を敬礼し、乃至、辞退して南行せり。
善財童子は、うやうやしく土下座して、頭を彼女の足にペタペタとつけて礼拝すると、やがて彼女の前を辞して、さらに南に向かったのであった・・・。
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「華厳経」入法界品より。わーい、これでやっと「婆須蜜多」章終わり。善財童子は最初と最後に普賢菩薩に説教されるのですが、その間に五十三人の善智識(指導者)に出会って修行していくので、これが「入法界品」のやっと五十五分の一なんです。(江戸+東海道五十三次+京都が55枚の絵で表わされるのと同じ構造になっているんです)
と、うだうだやっているうちに、明日はもう西行法師の命日ですのだ。