束の間しか無い自由の空に向かって。ぶーん。
シゴトはついに破裂。来週に続く。
そこで、絶望状態ではあるが、来週までしばらくの間、目を閉じて瞑想する。ぶーん。
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―――獅子奮迅比丘尼さまがおっしゃった。
善男子、於此南方有一国土、名曰険難、城名宝荘厳、有一女人、名婆須蜜多。
善男子、この南方において一国土有り、名づけて険難と曰い、城の名は宝荘厳、一女人有り、名は婆須蜜多。
善い童子よ、ここから南の方に行くと一つの国があるんだよ。その国の名は「険しく難い」、首都の名は「宝に飾られた都」、そこに一人の女がいる。その名は「バスミータ」。
おまえはその女のところに行って、訊ねてみるがいい。
「どのようにしてボサツはボサツの行いを学び、ボサツの道をおさめたのでございましょうか」
と。
これを聞きまして、善財童子、
「うわーい」
と喜びまして、
頭面敬礼比丘尼足、遶無数匝、眷仰観察、辞退南行。
比丘尼の足を頭面敬礼し、遶ること無数匝、眷仰観察して、辞退し南行す。
比丘尼の前で土下座して、その足を自分の頭にペタペタとつけて礼拝しまして、それから比丘尼さまのまわりを何回も何回もぐるぐる回り、じっと振り仰いで見つめ、その前を辞退して南に向かって出発したのでありました。
善財童子は、大いなる智慧の光を以てその心を照らし・・・(中略)ながら、
漸漸遊行、至険難国宝荘厳城。
漸漸遊行して、険難国・宝荘厳城に至れり。
どんどん旅を続けて、「険しくて難い国」の「宝に飾られた都」に到着いたしました。
城門を入りましたところで、童子はひとびとに訊ねた。
婆須蜜多女、今在何所。
婆須蜜多女、今何れの所に在るや。
「みなちゃん、バスミータという女のひとがどこにおられるか、御存じではありませんかな?」
と。
ひとびとは言った。
「この童子は立派な姿をしているぞ」
遠離懈倦、心如大海。此非染欲顛倒之人、無常欲想、不没欲泥、不随諸根、行出魔界、不服五欲、不為一切諸魔所縛、所不応作已能不為。
懈倦を遠離して心は大海の如し。これ欲に染まりて顛倒せるの人にあらず、常に欲想無く、欲泥に没せず、諸根に随わず、魔界を行出して五欲に服さず、一切諸魔の縛するところと為らず、応作せざるところ已によく為さず。
やる気が無い状態を遠く離れ、心は大海の如く静かである。欲望に染まって考えのひっくり返ってしまった人ではない。欲望の思いにとらわれておらず、欲望の泥に沈んでいるわけではなく、もろもろの官能の喜びからは自由になり、魔界から出終わって、目に見えるもの、音声、香り、味、触れあい、という五つの欲望に支配されていない。一切の魔物たちの束縛からはなれ、してはならないことはしないようだ。
それなのに、
有何等意、而求此女。
何等の意有りてか、この女を求むるか。
どういう目的で、バスミータを探しているのであろうか。
「ひっひっひ、やっぱりそういう目的かな」
「ひっひっひ、まだコドモなのにのう」
と、にやにやして善財童子を見るのであった。すなわち、バスミータさまは古代インドにおけるそういう類の職業の女性であった。
しかし、中にはバスミータさまの多大な魅力を知っているオトコがいて、
作如是言。
是くのごときの言を作す。
こんなふうに声をかけてきた。
善哉。童子、得大善利、乃能推求深智女人。
善いかな。童子、大善利を得て、すなわちよく深智の女人を推求す。
「すばらしいぞ、童子よ。大いなる善き利益を得ているようだな。よくぞあの深い智慧を持つ女人を訪ねて来たものだ」
「はあ。それほどでも・・・」
当知童子、一向求仏、悉欲摂取一切衆生、抜諸欲刺、壊散浄想。
まさに知るべし、童子、一向に仏を求むれば、ことごとく一切衆生を摂取せんと欲して、諸欲の刺を抜き、浄想を壊散す、と。
「よく知っておくがよいぞ、童子よ。ひたすら仏を求める者は、あらゆる衆生をことごとく自らに取り込んで、もろもろの欲望のトゲを抜いてやり、(本来汚れたものが)浄められたものだという誤った思いを壊し散らしてやらねばならない、ということを」
「はあ」
善男子、今此女人在此城中深宮之内。
善男子、今この女人はこの城中の深宮の内に在り。
「善き童子よ、今その女はこの町の奥の方の宮殿みたいなところにいる。
彼女のところでよくよく欲望のトゲを抜いてきてもらうといいぞ。ひっひっひ」
「そうでちゅね、うっしっし」
善財聞此語已、心大歓喜、往詣其門。
善財この語を聞き已えて、心大いに歓喜し、往きてその門に詣る。
善財童子はそのコトバを聞き終えて、心の中で大いにワクワクし、その宮殿の門を目指して行った。
ひっひっひ。
そこでどんなことが起こるのでしょうか。次回のお楽しみ。
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「華厳経」入法界品より。
わたしももっと若く元気なうちに善財童子のようにいろんなところを訪ねて歩き、ひとの道、ボサツの行い、あるいは如来の海の海鳴りの音、それらがいかなるものであるかを学ぶべきであったのだ。俗世間に磨り潰される前に。もう手遅れなのであろうか・・・。
―――彼らはよく知っているのだ。幸福がすぐに自分の手元から逃れ去ることを!(F・ニーチェ「善悪の彼岸」)