←本文中の登場人物とは関係ありません。
仕事面で大爆発。ひどい週末に。
・・・・・・・・・・・・・・
仕事なんかポイ捨てして、奈良に行ってみたいなあ―――と思いましたので、「万葉集」(巻二)でも読んでみる。
当時の大スキャンダル事件です。
軽太子奸軽太郎女。故其太子流於伊予湯也。
軽(かる)の太子、軽の太郎女(おほいらつめ)にたはけぬ。故(かれ)、その太子を伊予の湯に流しき。
軽の太子が(同母妹である)軽の太郎女に交わった。(これは禁忌違反である。)それで、その太子を道後温泉に流罪にした。
ゲンダイの感覚では道後温泉に流されたらウハウハで、罰にはならないような気もしますが、当時は罰だったのでしょう。
この「軽の太郎女」とは、あまりにも美しかったので、その身の光が衣を通して輝いた、という衣通姫(そとおりひめ)さまの本名であります。
愛するおにいさまを流されたので、
此時衣通王不堪恋慕而追往歌。
この時、衣通(そとほし)の王(おおきみ)の、恋慕に堪へずして追ひ往きし時の歌。
この時、衣通姫が、恋慕の情に堪えず、追いかけて行こうとしたときの歌。(なお「恋慕」という熟語、当時は新しかったと思われます。)
いわく、
君之行気長久成奴山多豆乃迎乎将往待爾者不待。此云山多豆者是今造木者也。
さあ、なんと読むのでしょうか。
君が行(ゆき) け長くなりぬ 山たづの 迎(むか)へを行かむ 待つには待たじ 此こに山たづと云へるは、これ今の造木(みやつこぎ)なるものなり。
「みやつこ(ぎ)」は転嫁して、現代では「にわとこ」といいます。枝や葉が向かい合って生える、という特徴のある木。
あなたが行ってしまってから
月日も長くなってしまいました。
枝や葉が「向かい」合わせに生えるにわとこの木のように(「迎え」の枕詞なんだそうです)
迎えに行きたいよう。
待っているはやめにして。
(注)この「やまたづ」というのは、現代(←奈良時代)に「みやつこぎ」というやつです。
ちなみに「日本書紀」によれば、
遠つ飛鳥の宮(難波宮)にあめのしたおさめたまひし雄朝嬬稚子宿祢天皇(をあさづまわくごのすくねのすめらみこと)の二十三年春三月、木梨の軽の皇子を太子と為しぬ。
そうです。この天皇は後に允恭天皇と諡名される方で、その二十三年は西暦では434年に当たる。倭の五王の時代である。
軽の皇子は
容姿佳麗、見者自感。
容姿佳麗にして見る者おのずから感ず。
かおかたちかっこよく美しく、見る者は自然にうっとりしてしまう。
ようなイケメンであった。
そして、
同母妹軽太娘皇女亦艶妙也。
同母妹の軽の太娘皇女また艶妙なり。
母を同じくする妹の軽のおおいらつめのひめみこさまもまた、美しく色っぽかった。
ために二人はひそかに通じあったのである。
ところが、
廿四年夏六月、御羹以作氷。
廿四年夏六月、御あつもの以て氷と作る。
翌二十四年の夏六月の暑い盛りに、陛下がお召し上がりになろうとしたお吸い物が、凍ってしまっていた。
「これは異常事態である」
天皇異之卜其所由。
天皇(すめらみこと)、これを異としてその由るところを卜わせしむ。
天皇陛下は、これは異常だと思って、その原因を占わせた。
すると占い師は言った。
有内乱、蓋親親相姦乎。
内の乱れあり、けだし親親相たはけるか。
「宮の内に乱れがございます。おそらく、もっとも親しいものどうしが、禁じられた愛を営まれておりますのかも」
「なんと!」
調べたところ、太子と妹ひめの間にそのことがあったことがわかったので、皇子は太子を廃され、
移太娘皇女於伊予。
太娘皇女を伊予に移しまいらせり。
おおいらつめのひめみこさまを伊予にお流し申し上げた。
ということで、流されたのは妹ぎみの方、ということになっておるのでございます。
・・・・・・・・・・・・・・・・
本日は以上。
漢字ばかりの文章を読むとなんだか目がぐるぐるしてオモシロいですよね。