たましひの入れものひとつたねふくべ(大島蓼太)
もうだめだー! シゴトもニンゲン関係も崩壊の上、明日もイヤなことが起こる!
・・・・・・・・・・・・・・
むかしむかしのことでございますが、ある王さま、
棄国行作沙門。
国を棄てて行きて沙門と作る。
その地位を棄てて国を飛び出し、一修行者となった。
そして山中にこもって、草ぶきの小屋に住み、雑草を編んだむしろに座りながら、
「いいっひっひっひっひ・・・」
大笑。
大いに笑う。
ひとりで大笑いしていた。
同じ山中にいた別の修行者がやってきて、問うた。
卿快楽。今独座山中学道、将有何楽耶。
卿快楽す。今、山中に独座して道を学ぶ、まさに何の楽しみ有るや。
「おまえさん、えらくキモチよさそうじゃな。こうやって山の中で孤独に座って修行していて、いったい何が楽しいのかのう?」
修行者は答えて言った。
我作王時、所憂念多。
我、王たるの時、憂念するところ多し。
「わたしが国王であったときは、心配ごとが多かったんです」
「ほう」
或恐隣王奪我国、恐人劫取我財物、或恐我為人所貪利、常畏臣下利我財宝、反逆無時。
あるいは隣王我が国を奪わんかと恐れ、人の我が財物を劫取せんかと恐れ、あるいは我ひとの貪利するところと為らんかと恐れ、常には臣下の我が財宝を利として反逆時無からんかと畏る。
「あるときは、隣の国の王さまがわたしの国を奪いに来るのではないかと心配していました。また誰かが我が国の財物をかすめ取っていくのではないかと心配しておりました。またあるときは、国民の誰かがわたしに取り入って利益をむさぼっているのではないかと心配しました。そして、部下の誰かがわたしの財宝を欲しがって、叛乱を起こすのではないかとこれはいつもいつも心配でしかたありませんでした」
「なるほど」
今我作沙門、人無貪利我者、快不可言。以是故言快耳。
今われ沙門と作るに、人の我を貪利する者無く、快なること言うべからず。是を以ての故に快なりと言うのみ。
「今、わたしが修行者となってみると、誰もわたしに取り入って利益をむさぼろうなどするはずがありません。このこと一つだけでも楽しくてしかたありません。それで、キモチいい、と言っていたのです」
「なーるほど、それは楽しそうじゃな」
「楽しいですぞー」
と言い合って、
「わっはっはっはっは」(はっはっは・・・)
「いっひっひっひっひ」(ひっひっひ・・・)
と山中に二人の笑いがいつまでもコダマしていた、ということでございます。
・・・・・・・・・・・・・・
呉・天竺三蔵・康僧会訳「雑譬喩経」より。
心配なら捨ててしまえ、との教えです。