アマミで名高い「かたきらうわ」(片耳豚)。荒れているぜ。
見果てぬ夢の続きを見に行って、ほんとの世界を垣間見てきましたが、また悪夢の桃郷に。帰ってこなければいいのに・・・といつも思うのですが。桃郷での明日からの生活を思うと泣けてくる。
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さて、「泣けてくる」と申しますと、
―――この世に生まれ落ちたときに、赤ん坊が泣くのは、この阿呆どもの舞台に引き出されたことを悲しんでいるからだ。
と喝破されたのはリア王先生であったかと思いますが、↓の先生はちょっと違う解釈をしています。
隣児半夜哭、 隣児、半夜に哭するは、
或言憶前生。 あるいは言う、前生を憶うならん、と。
隣家のコドモが真夜中に泣いている。
もしかしたら、前世のことを思い出しているのかも知れない。
というのです。
前生何所憶、 前生、何の憶うところぞ、
或者変文名。 あるいは文名を変ずるか。
前世のいったい何を思い出しているのか。
もしかしたら、前世では名のある文学者だったのに、その名を失ったためかも知れない。
なんだそうです。
さらに先生は言う、
我有一篋書、 我に一篋の書有り、
属草殊未成。 草に属してことにはいまだ成らず。
実は、わたしには箱一つ分の著作があるのだ。
まだ草稿のままできちんと定稿にはなっていない。
塗乙迨一紀、 乙を塗りて一紀に迨(およ)び、
甘苦万千倂。 甘と苦と万千倂せたり。
「塗乙」(乙を塗る)というのは、漢の東方朔が、文章の読み止めるところに「乙」を付した(「史記・東方朔伝」)ことから、白文に句読点をつけること。「一紀」は木星(「歳星」)が黄道を一周するのにかかる時間で約12年。
「乙」マークを付けて読み方を工夫してもう十二年、
(我が人生の)甘いも苦いも、無数にここに書き込んである。
この原稿のことを思うと、
百憂消中夜、 百憂、中夜に消ゆるも、
何如坐経営。 何如ぞ、坐して経営せん。
あらゆる心配事が溶けてしまった真夜中だが、
どうしてじっとしていられようか。
「そうだ!」
剪燭蹶然起、 燭を剪りて蹶然(けつぜん)として起てば、
婢笑妻復嗔。 婢は笑い、妻はまた嗔(いか)る。
消えていた蝋燭の芯を切って、がばりと起き上がると、
下女は笑っているが、女房はまたかと怒っているようだ。
先生は深夜、草稿に手を入れはじめた。
万一明朝死、 万一、明朝死せば、
堕地泪縦横。 地に堕ちて泪(なみだ)縦横(しょうおう)たらん。
もしも明日の朝、ぽっくりと死んでしまったなら、
(文章への未練で)わたしの涙は地面に落ちて、縦にも横にもあふれ流れることだろうから。
変なひとである。
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この変なひとは、清の定盦(ていあん)先生・龔自珍、作品の題名は「隣児半夜哭」(隣のコドモが真夜中に泣いている)。定盦先生はチャイナではじめて、というより東洋で、否、地球上でもほとんど最初期に「詩人」というものを近代的な意味で自覚した、といわれる天才ですが、やはり変なひとなので、出世もしなかったし五十前に亡くなりました(1792〜1841)。乾隆の末年に生まれ、アヘン戦争の直後に死んだことになります。
四海変秋気、 四海、秋気を変ずれば、
一室難為春。 一室、春を為しがたし。
四方の海の方から、これまでと違う秋の粛殺の気が吹き込んできた。
わたしの家の中だけ、あたたかな春を楽しんでいることができようか。
の一句は、混濁の世を改革せんとする清末の若者たちの心を強く揺さぶったので名高い。