サル年でモンキ!
謹んで新年の御慶びを申し上げます。
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めでたいことでございます。
神野忠知という俳人は江戸の人だそうですが、承応年間(1652〜1654)のころ、ということですから、芭蕉なんかの活躍する前ですが、
元日や何に喩へん朝ぼらけ
(元日ですなあ。朝ぼらけののどかさを何にたとえればよろしかろうか)
という発句を作りました。
めでたいことでございます。
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竹内玄玄一「俳家奇人談」上より。
めでたいところなんですが、実はこの神野忠知、後に
霜月やあるはなき身の影法師
(十一月ですなあ。生きていたとしてもどうせ死んだような、おいらはもう影法師のような存在なのだ)
と辞世して腹を切って死んだ、そうなのでございます。
芭蕉門の宝井其角がそれを聞いて、曰く、
いかに浮世とは言ひながら哀れなり。
どうせこの世は浮世なので、どうでもいいや―――とは思うけど、悲しいことだなあ。
と。
そしてしかも、年末年始で自分に戻っておりましたが、もう三が日もあと二日、今日はもう構造主義的にはふつうの金曜日と同じ状態。あるはなき身の影法師のようになってしまう平日が近づいてまいっておりますぞ。
かーーーーーっつ!
ああ、これが拙僧のさだめか、正月早々哀れなお話ししかできず、申し訳ございませんのう。(涙)