サルばどーる=だり「みかんの変容」。
やはりこの世は寒かった。明日からはまたあちらでぬくぬくと暮らします。下記のひとたちのように・・・。
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唐のころのことですが、湖北・巴卭(はきょう)の地に橘の園があった。
以下、めんどくさいので「橘」は柑橘類の「みかん」と訳します。
霜後見橘如缶。
霜後、橘の缶(ふ)のごときを見る。
霜の降りた冬、「ほとぎ」ほどの大きさに成長しているみかんが見つかった。
「缶」(フ)は小太鼓ぐらいはある円筒形の土器。「カン」と読むのは「鑵」の略字として使われているだけです。
「これはでかいな」
とひとびと集まって、
剖開。
剖(さ)き開けり。
切り割って中を調べてみた。
そしたら、中では
有三老叟象戯。
三老叟の象戯する有り。
三人の老人が将棋をしていた。
ひとびとが驚きあきれていると、老人の中の一人が、
橘中之楽、不減商山。
橘中の楽しきは商山に減ぜず。
「みかんの中は楽しいのう。まるで商山の山中のようじゃわい」
商山は河南あたりにある仙山と思われます。
もう一人が言う、
但不得深根固蔕耳。
ただ深根、固蔕を得ざるのみ。
「いやいやしかし、商山と違って、地中に深く入り込んだ根っこや、天につながった固いヘタが無いぞ」
もう一人は、何かをもそもそと食べている。よく見ると、
取龍脯食之。
龍脯を取りてこれを食らう。
龍の干し肉を引きちぎりながら食っているのであった。
やがて
「ああ、満腹じゃ」
と食い終わったらしい。
すると、
余脯化為龍。
余脯、化して龍と為る。
食べ残しの干し肉が、みるみるうちにまた龍になった。
ひとびとが見守る中、
衆乗之而去。
衆、これに乗じて去れり。
三人ともみなこの龍にまたがって、飛び去って行ったのだった。
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唐・牛僧孺「幽怪録」より。この老人たちは仙山やらみかんの中やらで、長く長く生きているのでしょう。
本日は天長節。天のごとくとこしえに長く、地のごとく久しからんことを。いやさか。