励ましてやるおー。代わりにはなみずをくれる?
今日は古い友だちが、旅の途次に訪ねてきてくれたぜ。
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ひとはみな、いつも旅にあるものなのだ。
七百年ぐらい前のことですが、あるひとがこううたった。
一声梧葉一声秋、 一声の梧葉に一声の秋ありて、
一点芭蕉一点愁。 一点の芭蕉に一点の愁いあり。
三更帰夢三更後。 三更の帰夢の三更の後に。
梧の葉に一粒の雨が落ちると、その音ごとに秋を感じ、
芭蕉の葉に一たまの雨が落ちると、その音ごとに愁いを感じる。
真夜中過ぎに、帰郷する夢を見て目が醒めた。その真夜中過ぎの枕べに――― @
これは、以下の詩人のうたを踏まえる、といいますか、これらにインスパイアーされているようです。
百数十年前、宋の李清照というおんな詩人が、
梧桐更兼細雨、到黄昏、点点満満。這次第、怎一个愁字了得。
梧桐さらに細雨を兼ねて黄昏に到り、点点満満。這(こ)の次第、いかでか一个の「愁」字、了し得んや。
あおぎりに細かな雨が降りかかって、夕暮れまで、時にはらはらと、時に本降りに。この変化の様子、どうして「愁い」のひと文字で、あらわしきれるものでしょうか。
とうたいました。(「声声慢」詞)
また、それよりも二百年も前、唐の終わりころ、温庭筠というやさおとこが、
梧桐樹、三更雨、不道離情正苦、一葉葉、一声声、空階滴到明。
梧桐の樹、三更の雨、離情のまさに苦しきを道(い)わず、一葉葉、一声声、空階に滴りて明けに到りし。
あおぎりの木に真夜中過ぎの雨が降りかかった。
その雨音は、別れたあとの苦しさを語っているわけでもないだろうに、一枚ごとの葉から落ちる一粒ごとに、
何かを言いたげにきざはしのあたりにしたたり落ちる音が、明け方まで聞こえていたのだ。
とうたいました。(「更漏子」詞)
それよりもまた百年ぐらい前に、杜牧というひとくせありそうな詩人が、
一夜不眠孤客耳、 一夜眠られず、孤客の耳に、
主人窗外有芭蕉。 主人の窗外、芭蕉有り。
一晩中眠れなかった。なぜなら孤独な旅人であるおれの耳に、
主人の部屋の窓の外に芭蕉が植えられ(ていて、その葉に雨の落ちる音が聴こえ続け)ていたからだ。
とうたいました。(「代贈」詩)
―――さて、@で真夜中過ぎに夢から覚めてしまった後、部屋の中を見回すと、
落燈花棋未収、 落燈に花棋いまだ収めず、
嘆新豊逆旅淹留。 嘆く、新豊の逆旅に淹留するを。
消えかかったともしびのもと、碁盤が片づけられもせずに散らかっている。
ああ、そうだ、おれは、この新豊の町の宿にしばらく留まっているのであった。
「新豊」は長安の近くの町ですが、実はこの町、漢の高祖が国を建てたあと、そのおやじの太公が郷里の「豊」の町を懐かしんでかなわんので、「豊」のひとたちにわざわざ長安の近くに移り住んでもらって、太公がそこまで行けば郷里に帰ったと思えるように作った「新しい」豊の町という意味の地名なのです。したがって「新豊」という地名は「懐かしいふるさとに似てふるさとにあらざる町」の意を言外に含む。そして、「太公」の故事は、自分のおやじのことも連想させたと思われる。
―――寝付かれずに思いをめぐらす。
枕上十年事、 枕上、十年の事、
江南二老、 江南の二老、
都到心頭。 すべて心頭に到りぬ。
枕の上で、この十年の旅暮らしのことを思っていると、
ふるさとの江南の地に今も暮らす二人の老人―――おやじとおふくろ
二人のことが頭に浮かんで離れない。
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元・徐再思「夜雨・水仙子」(夜の雨。「水の仙女さま」の節で)。
徐再思は字・徳可、甜斎と号す。浙江・嘉興のひと、一昨日の張可久や貫雲石とほぼ同時代のひとで、貫雲石(号「酸斎」)と「酸・甜」と並び称されたという。
そういえば今日は原田知世さんのバースデーだすよ。