平成27年9月13日(日)  目次へ  前回に戻る

「一般国民」として純粋に疑問なのですが・・・。

とりあえず、勤め人のみなさんは明日また出勤ですね。ごくろうさまです。

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ではおいらはこの山中から、みなさんにお別れの歌をうたいましょう。

歩出城南門、 歩して城南の門を出で、

悵望江南路。 悵として江南の路を望む。

前日風雨中、 前日風雨の中、

故人従北去。 故人、北より去れり。

 歩いて城南の門から出た。

 ぼんやりと江南に続く道をながめる。

 昨日は雨・風の強い日であったが、

 あいつはここから南へ帰って行ったのだ。

肝冷斎の自作ではありません。元の四大詩人の一、掲傒斯(けい・けいし)の「暁出順承門、有懐何太虚」(暁に順承門を出でて、何太虚を懐(おも)う有り)詩です。

掲傒斯は江西・富州のひと、字・曼碩、若きより文名高く、大徳年間(1297〜1308)に翰林院に入り、天暦年間(1328〜1330)に侍講学士、遼金宋三史編纂官を命ぜらる。元代の漢人文化を代表する人物で、卒後「文安」の諡号を贈られた。
一方、何太虚は名を中といい、掲傒斯と同じく江西の人で、大徳年間に北京(大都)に職を求めて上京していたが、結局志を得ずに帰郷することになった。そこでまだ若かった掲傒斯らが送別会を開いてやったらしい。

この詩は、その翌日になって、すでに旅立った何太虚のことを思って作ったものだといい、詩中にはどこにも固有名詞を用いず、ために一般的な感情を惹起して、五言絶句らしく語りつくせぬ余韻の残る佳篇であります。

―――――と思っていたら、

「ちょっと悪いウワサがあるのですよ」

と言う人がいた。

実は当時、

歩出城東門、 歩して城東の門を出で、

遥望江南路。 遥かに江南の路を望む。

前日風雪中、 前日、風雪の中、

故人従北去。 故人、北より去れり。

我欲渡河水、 我、河水を渡らんと欲するも、

河水深無梁。 河水深くして梁無し。

願為双黄鵠、 願わくは双つの黄鵠と為りて、

高飛還故郷。 高く飛びて故郷に還らん。

 町の東の門を歩いて出て、

 はるかに江南に続く道をながめた。

 昨日、吹雪の中を、

 あなたは南に向かったのだ。

 あたしも河を渡りたいけれど、

 河は水深く、橋が無い。

 こうなったら、あなたとつがいのコウノトリになって

高く飛んで、一緒にふるさとに帰りたい。

という流行り歌があった。

「掲傒斯さまはこの前半四句を剽窃(コピペ)して、状況に合うように、「城東」を「城南」に、「遥望」を「悵望」に、「風雪」を「風雨」に替えただけなのだ、というウワサも・・・」

というのである。(清・恒仁「月山詩話」

本当に剽窃なのか、流行り歌の方こそ掲傒斯の詩に後半を引っ付けてできたのかも知れないし、あるいは掲傒斯はみんなが知っている流行り歌を友人の送別に贈っただけかも知れないし、批判されるような話でも無いのカモしれません。

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我々「一般国民」が疑問に思っているのは、エンブレムが似ている(←実際はコピペ)とか、似ているのを批判するのは自由な作品表現を委縮させるとか、そういう「芸術的」なことではなくて、「なぜ知り合いが知り合いの作品を選んで、何度も改作させてでもその人の作品(←しかもコピペ)であることに固執しようとしたのか」という「上級国民」のみなさんの不可解な行動なのだ、と思っているのですが・・・このままうやむや?

なお本日の記述は、李夢生著「蕭瑟金元調」(中華書局2004)を参考にした。参考であってコピペではありません。ほんとに。

 

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