平成27年9月5日(土)  目次へ  前回に戻る

上を向いて歩・・・きたいがもうダメかも。

来週なんか来ませんよね? 来ませんよね? 誰かそのとおりだ、と言ってくれ。でないとおいらは・・・。

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さて、宋の時代のことでございます。

賢人と称された孫元規さまが杭州の知事をしておられたときのこと。

有僧酔卧道上、為邏者所擒。

僧の道上に酔い卧して、邏者のために擒らえらるるところとなる有り。

坊主が酔っぱらって道の真ん中で寝ていたのを、見回りの巡邏が捕まえてしょっぴいて来たことがあった。

この僧はチャイナ語を自由に話したが、眼の色青く、もとは西域の国から来た者であるらしい。

僧に興味を持った孫知事が、自ら尋問して言う、

為僧而飲、何也。

僧たりて飲む、何ぞや。

「坊主のくせに酒を飲んで酔っ払うとは、どういう了見だ?」

答えて曰く、

野性所嗜、不能自禁。

野性の嗜むところなり、自ら禁ずるはあたわず。

「人としての自然な性質が酒を好むのでしてな。自分で止めようとして止められるものではござりませぬでな」

「ほほう」

知事はその答えを聞くと何やらうなずいていたが、部下に命じて、

与対酒一壺、一飲而尽。

対して酒一壺を与うるに、一飲して尽くせり。

この坊主に酒を一壺持ってこさせて与えた。すると、坊主はその場で壺から直接ごくごくと飲み始め、そのまま一壺飲み干してしまったのであった。

「なるほど」

知事は部下に

令扶帰、勿使侵侮。

扶けて帰らしめ、侵侮することなからしむ。

「この御坊を住所まで大切にお届けせよ。ゆめゆめ失礼の無いようにするのだぞ」

と命じて釈放したのであった。

翌日―――。

僧声鼓登座。

僧、声鼓して座に登る。

この坊主、太鼓を叩いて人々を集め、その目の前で一段高いところに登って座った。

そして、よく通る声で言うた。

吾西域人也。溷迹于此、不幸為此子所識、不可復留矣。

吾は西域びとなり。ここに溷迹するに、不幸にしてこの子の識るところとなり、また留むるべからざるなり。

「わたしはもと西域の聖者である。この地まで流れてきて、誰にも聖者だと気づかれないように暮らしていたのに、不幸にもこのたびあの先生、すなわち知事どのに正体を見破られてしまった。もうここにも居られないようである」

言い終わると目を閉ざし、黙りこんでしまった。

しばらくしても何も言わず身じろぎもしないので、まわりの人が壇上に登ってよくよく見たところ、

跏趺而逝。

跏趺(かふ)して逝けり。

すでに、すわったまま死んでいた。

のであった。

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宋・陳正敏「遁斎閑覧」より(「類説」巻四十七所収)。

来週が来てまた平日になるぐらいなら、おいらもこの僧のように「もうここにも居られないようである」と言って身をくらました方がいいのカモ。追い込まれております。それにしても↑この類の話はオモシロいですね。シゴトなど無くて一日中こんなの読んでいられたら、いつまでも娑婆世界にいてもいいんだけどなー。

 

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