平成27年8月30日(日)  目次へ  前回に戻る

他者に残しておく余裕があるわけではないが。

山中に帰ってまいりました。燈火でもつけて読書するか。

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・・・と思いましたが、

蘇東坡の詩(「欽長老の寄せらるるに次韻す」)にいう、

為鼠常留飰、 鼠のためには常に飰(めし)を留め、

憐蛾不点燈。 蛾を憐れみては燈を点ぜず。

 ネズミ(が飢えるとかわいちょうなので、いつも彼ら)のために、残飯のいくばくかを残しておいてやらねばならぬ。

 蛾(が燈火に飛び込んで自ら焼かれるの)がかわいちょうなので、燈火はつけないようにしておこう。

と。

古人此等念頭、是吾人一点生生之機。無此便所謂土木形骸而已。

古人これらの念頭、これ吾人一点生々の機なり。これ無くんばすなわちいわゆる土木の形骸なるのみ。

むかしのひと(蘇東坡)のこんな気持ちを思い出すときこそ、われわれ人間が物を生かし自分をも生かす一瞬の機会である。こういう気持ちが無いのなら、(あたたかいニンゲンではなくて)ただの土や木でできた人間型のむくろに過ぎなくなっちゃうよ。

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昨日は「反菜根譚」でしたが、今日はホンモノの明・洪自誠「菜根譚より(第171条)。

そうか、燈火をつけるのはいけないことなんですね。

眠いし、めんどくさいので読書はせずにもう風呂入って寝ます。明日が来ませんように・・・。

 

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