他者に残しておく余裕があるわけではないが。
山中に帰ってまいりました。燈火でもつけて読書するか。
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・・・と思いましたが、
蘇東坡の詩(「欽長老の寄せらるるに次韻す」)にいう、
為鼠常留飰、 鼠のためには常に飰(めし)を留め、
憐蛾不点燈。 蛾を憐れみては燈を点ぜず。
ネズミ(が飢えるとかわいちょうなので、いつも彼ら)のために、残飯のいくばくかを残しておいてやらねばならぬ。
蛾(が燈火に飛び込んで自ら焼かれるの)がかわいちょうなので、燈火はつけないようにしておこう。
と。
古人此等念頭、是吾人一点生生之機。無此便所謂土木形骸而已。
古人これらの念頭、これ吾人一点生々の機なり。これ無くんばすなわちいわゆる土木の形骸なるのみ。
むかしのひと(蘇東坡)のこんな気持ちを思い出すときこそ、われわれ人間が物を生かし自分をも生かす一瞬の機会である。こういう気持ちが無いのなら、(あたたかいニンゲンではなくて)ただの土や木でできた人間型のむくろに過ぎなくなっちゃうよ。
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昨日は「反菜根譚」でしたが、今日はホンモノの明・洪自誠「菜根譚」より(第171条)。
そうか、燈火をつけるのはいけないことなんですね。
眠いし、めんどくさいので読書はせずにもう風呂入って寝ます。明日が来ませんように・・・。