時の経つのは早いものですなあ。
週末です。今週もツラかったが、四日しかなかったのでよかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・
よかったので、めでたいお話でもいたしましょう。
五代から宋の初めごろのこと、浙江での出来事だそうですが、
有人好道、不知其方。
人有りて道を好むも、その方を知らず。
「道教」への信仰の篤いひとがおられたのですが、このひと(適切な指導者もおらず)道教の実践の方法を知らなかった。
―――方法はわからなくても真心があればいいのではないか。
と思い定めて、
朝夕拝一枯樹、輙云乞長生。
朝夕に一枯樹を拝し、すなわち「長生を乞う」と云えり。
毎朝・毎晩、一本の枯れ木を拝み、「どうぞ長生きをさせてください」と祈っていたのであった。
そして、
如此二十八年不倦。
かくの如きこと二十八年、倦まず。
このように毎日毎日、二十八年間というもの、怠たることなく続けたのだ。
まわりの人からは嘲笑、忠告、同情、いろんなことも言われたのだが、とにかく続けた。
すると
一旦木生紫花。
一旦、木に紫花を生ず。
ある朝、枯れ木になんと、紫の花が咲いたのである。
その花からは
甘津如蜜。
甘津ありて蜜の如し。
甘い汁が蜜のように滲みだしていた。
そのひと、
食之。
これを食らう。
それを舐めた。
「ああ、うまい。うまいのう・・・、む、ぐぐぐ」
蜜の味に悦びの笑みを満面に浮かべたまま突然倒れ、もう意識が無かった。
即仙去。
即ち仙去せり。
あっという間に仙人になって、タマシイだけ去ってしまったのだ。
みなめでたいことだと言いあったものである。
・・・・・・・・・・・・・・・・
宋・魯応龍「閑窗括異志」より。
社会人となって三十何年間、毎朝毎晩「楽チンさせてくだせえ」と祈り続けてやっと今のレベルの楽チンさである。甘い甘いどろどろの蜜でも嘗めさせてもらえて、そのまま「仙去」させてもらえたら、確かにたいへんめでたいことであるかも知れない。