平成27年7月24日(金)  目次へ  前回に戻る

時の経つのは早いものですなあ。

週末です。今週もツラかったが、四日しかなかったのでよかった。

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よかったので、めでたいお話でもいたしましょう。

五代から宋の初めごろのこと、浙江での出来事だそうですが、

有人好道、不知其方。

人有りて道を好むも、その方を知らず。

「道教」への信仰の篤いひとがおられたのですが、このひと(適切な指導者もおらず)道教の実践の方法を知らなかった。

―――方法はわからなくても真心があればいいのではないか。

と思い定めて、

朝夕拝一枯樹、輙云乞長生。

朝夕に一枯樹を拝し、すなわち「長生を乞う」と云えり。

毎朝・毎晩、一本の枯れ木を拝み、「どうぞ長生きをさせてください」と祈っていたのであった。

そして、

如此二十八年不倦。

かくの如きこと二十八年、倦まず。

このように毎日毎日、二十八年間というもの、怠たることなく続けたのだ。

まわりの人からは嘲笑、忠告、同情、いろんなことも言われたのだが、とにかく続けた。

すると

一旦木生紫花。

一旦、木に紫花を生ず。

ある朝、枯れ木になんと、紫の花が咲いたのである。

その花からは

甘津如蜜。

甘津ありて蜜の如し。

甘い汁が蜜のように滲みだしていた。

そのひと、

食之。

これを食らう。

それを舐めた。

「ああ、うまい。うまいのう・・・、む、ぐぐぐ」

蜜の味に悦びの笑みを満面に浮かべたまま突然倒れ、もう意識が無かった。

即仙去。

即ち仙去せり。

あっという間に仙人になって、タマシイだけ去ってしまったのだ。

みなめでたいことだと言いあったものである。

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宋・魯応龍「閑窗括異志」より。

社会人となって三十何年間、毎朝毎晩「楽チンさせてくだせえ」と祈り続けてやっと今のレベルの楽チンさである。甘い甘いどろどろの蜜でも嘗めさせてもらえて、そのまま「仙去」させてもらえたら、確かにたいへんめでたいことであるかも知れない。

 

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