矢を射て、あの風船を割らずにヒモを切ってみよ、みたいな?
月曜日終わりました。もう疲れた。・・・と言っていたら、
―――何を泣き言を言っておるか、ばかもーん! むかしの人を見習え!
と叱られた。
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超古代のこと、
帝羿有窮氏与呉賀北遊。
帝羿・有窮氏、呉賀とともに北遊す。
超古代、帝であった有窮氏の羿(げい)は、呉賀というひとともに北方に冒険の旅に出た。
あるところで、スズメが木の上に止っているのを見つけ、
賀使羿射雀。
賀、羿をして雀を射せしむ。
呉賀は、羿に「あのスズメを弓で射てごろうぜろ」と言った。
羿、微笑して答えて言うに、
生之乎、殺之乎。
これを生かしめんか、これを殺さんか。
「生きたまま捕らえようか、それとも殺してしまってもいいのか?」
賀もまた微笑んで、曰く、
射其左目。
その左目を射よ。
「あのスズメの、左の目を射ぬくことはできますかな?」
「ふん」
羿は答えもせずに、
引弓射之。
弓を引いてこれを射る。
弓を引き、スズメに向けて矢を射た。
しゅう。
ほとんど風を切る音も立てず矢は見事スズメに突き刺さった―――。
―――のだが、なんと。
誤中右目。
誤まりて右目に中す。
矢は、左目ではなく右目を射し貫いていたのだった。
「ありゃりゃー、右の方でしたなあ」
呉賀、にやにやして横目で羿を見た。
羿抑首而愧、終身不忘。
羿、首を抑して愧じ、終身忘れず。
羿は頭を垂れて反省し、その後、生涯この屈辱を忘れなかった。
この屈辱があったからこそ、羿はさらに精進し、
故羿之善射至今称之。
故に羿の善射、今に至るもこれを称せり。
このため、羿は弓の名人であったと、ゲンダイに至るまでひとびとが称賛するようになったのである。
羿はその後精進してさらに弓の精度と膂力を向上させ、太陽が空に十個出て大干ばつが起こったときに、九個の太陽を射落としたりして大活躍したのであった。(なお「ゲンダイ」というのは晋の時代(3世紀ごろ)のこと)
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晋・皇甫謐「帝王世紀」(「文選」巻31の唐・李善注に引く)より。
いにしえの人はこのように、ツラいことがあってもそれをバネに精進したのですぞー。
なお、この羿と呉賀の冒険談は、バビロニアのギルガメシュとエンキドゥの英雄神話に通じるところがあって興味を引きます。もしかしたら同一起源カモ。