ひとの世に永久なるモノ無し
シゴト驚異的に辛い上にOCNの工事でサービスが受けられなくなり、更新アップできません。電話しても、いつものとおりたらいまわしですわー。OCNさんに再度つながる日を夢見て本日も更新。
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現実からはすでに逃避しているので、ありがたいお話をしてみますよ。
むかしむかし、三人の道人(道を得たひと、悟りを得たひと)が出会って、お互いに、
「オタクはどうやって「道=悟り」を得たのでちゅかな?」
と質問しあった。
一人めの道人が言うた。
我于王国中、観葡萄大盛好、至晡時、人来折、抜取悉敗、狼藉在地。
我、王国中において葡萄の大いに盛好なるを観るも、晡時に至りて人来りて折り、抜取して悉く敗れ、狼藉地に在り。
おいらは、王国の都にいて、ブドウが豊かにふさふさと実っているのを見まちた。「これはうまそうでちゅよ」と思ったが、どこかから来たやつがこれを抜き去ってすべてダメにしてしまった。ブドウは地面に、まるでオオカミの寝床のようにぐしゃぐしゃに潰されてしまっておったのぢゃ。
我見、覚無常、縁是得道也。
我見て、無常を覚り、これによりて道を得たり。
おいらはこれを見て、「ああ。モノゴトに永遠に破壊されないものは無いのでちゅね・・・」と知って悟りを得たのである。
「ほうほう、なるほどでちゅのう。オタクは?」
次の一人が言うた。
我于水辺坐、見婦人揺手澡器、臂環更相叩、因縁合乃成声。我縁是得道也。
我、水辺に坐して、婦人の手を揺るがして器を澡(あら)うを見るに、臂環さらに相叩き、因縁合してすなわち声を成す。我、これによりて道を得たり。
おいらはある日、水辺に座っておって、女性が器を洗っているのを見ていたんでちゅな。そのひとは一生懸命に腕を動かして洗っていたが、するとそのひとの腕につけた数枚の腕環が、お互いにぶつかりあって音を立てたのですぢゃ。それを聞いておいら、「ああ。どの環も一つでは鳴らないのに、お互いが合わさると音を出すのでちゅなあ」と知って、悟りを得たのである。
「なるほど、なるほど、そうでちゅか。おいら? おいらは・・・」
我于蓮華水辺坐、見華盛好、至晡、有数十乗車来、人馬于中浴、悉取畢去。
我、蓮華水辺に坐し、華の盛好なるを見るに、晡に至りて、数十乗の車来たり、人・馬、中に浴してことごとく取り畢去せり。
おいらは、蓮の花の咲いている水辺に座って、蓮の花の花盛りのすばらしい姿を見ていたんでちゅ。すると、しばらくして、数十台の四頭立ての馬車がやってきまちて、そこから降りてきた人が水浴し、また馬たちにも水浴びをさせまちた。その間に「邪魔だ」と花盛りの蓮はすべて取り除けられてしまった。
万物無常乃爾、我覚是得道也。
万物の無常すなわち爾(しか)り、我覚りてここに道を得たり。
「ああ。あらゆる存在物が必ず滅んでいくのであること、この蓮の花と同じなのでちゅなあ」
おいらはこれに気づいて悟りを得たのである。
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以上。三国呉・康僧会訳「雑譬喩経」(旧雑譬喩経)上巻より「得道因縁喩」でございます。
意外と「大したことないこと」で悟りを開いておられますね。みなさんもこれぐらいの「因縁」にならすぐに出会えるのでは? おいらも毎日のシゴトのツラさやOCNさんのご対応の冷酷などを目の当たりにして、
「ああ。こういうことであったのでちゅなあ」
と、毎日悟りを得ることができる気がしてきた。