「早く船に乗っちゃえば」
そろそろ週末?・・・と思いきや、まだ明日もある。(T_T)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
つらい現実を忘れるためにコントでも見るか。
(コント1)・・・・・・・・・・
僧、問う、
如何是仏。
いかんがこれ仏。
「ホトケ様とはどのような方ですか?」
師戒禅師曰く、
鼻孔長三尺。
鼻孔、長三尺なり。
「鼻の穴が一メートルぐらいあるやつじゃ」
(コント2)・・・・・・・・・・・
僧、問う、
得船便渡時如何。
船便を得て渡るの時如何ぞ。
「うまく船の便を得て、あちら岸に渡るときはどんな感じでしょうか?」
師戒禅師曰く、
棹在誰人手。
棹は誰人の手に在りや。
「そのとき、さおは誰が持っているのじゃ?」
もちろん、「船の便を得て渡るの時」というのは「死んであの世に行くとき」の意味ですよ。
(コント3)・・・・・・・・・・・
上堂。
堂に上る。
禅師が講席につかれた。
早速ある僧が問う、
名喧宇宙知師久。雪嶺家風略借看。
名、宇宙に喧(かまび)すしく、師を知ること久し。雪嶺の家風、ほぼ借看せん。
「(師の)お名前は天下に鳴り響いており、ずいぶん前から存じ上げておりました。この寺のやり方、だいたいのところをお教えください」
禅師曰く、
未在。更道。
いまだ在らず。更に道(い)え。
「そんなものはありませんな。もっと別のことを訊け」
僧展両手。
僧、両手を展(ひろ)ぐ。
僧は両手を広げた。(他に訊きたいことはなんにもありません、というのであろう)
すぐさま、
師便打。僧礼拝。
師、すなわち打つ。僧、礼拝す。
禅師は「ぼかん」と殴った。僧は殴った禅師を拝んだ。
師、竪起柱杖、説、大衆会麼。言不再挙、令不重行。
師、柱杖を竪起して説く、「大衆会せるや。言は再びは挙せず、令は重ねて行われず」と。
禅師は、杖を立てて、言う、
「みなさん、おわかりかな? もう二度とはいいませんぞ、もう二度とは示しませんぞ」
言い終わるや、
便下座。
すなわち下座す。
たちまち席から立って引き上げてしまった。
・・・・・・・・・・・・・・・・
宋・普済編「五燈会元」巻十五より。
わけがわからんので「コントかな?」と思いましたが、少しもオモシロくない。実は禅僧の「語録」でしたのじゃ。
いちおう肝冷斎なりの解説を加えれば、
コント1=「仏(=真理)」は通常の言語や概念で表現できるようなものではないのだ。
コント2=彼岸へ行く船の漕ぎ手なんていないのだ。(→生死の間も、雲が湧き水が流れるありのままの世界があるだけだ)
コント3=決まったルールなどというものは、この世界のどこにも無い。つねに、一回きりの現在があるだけなのだ。
というようなことを読みとれればいいのではないかと思います。・・・と、まあ、このあたりが現段階の肝冷斎の限界ですかね。
師戒禅師は宋の初めのころに湖北の五祖山を中心に活躍した名僧である。