平成27年2月24日(火)  目次へ  前回に戻る

(焼酎だったらすっきりしたかというと・・・)

本日はおワイン。おワインとお日本酒は少量でもてきめんに頭痛くなる。頭痛いので、昨日の続きはまた明日にさせていただきまして、もっと頭痛くなってくるようなお話をさせていただきます。

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北宋の有名な政治家・文人である王安石が言うに、

月中彷彿有物、乃山河影也。

月中彷彿として物有るは、すなわち山河の影なり。

月の表面にぼんやりと何かがあるように見えるのは、山と川の影である。

と。

また、蘇東坡も言う、

有正如大円鏡、写此山河影。妄言桂兎蟇、俗説皆可屏之。

正に大円鏡の、この山河の影を写す如き有り。妄言して桂・兎・蟇となす、俗説みなこれを屏(しりぞ)くべし。

ちょうど大きな円い鏡が、大地の側の山や川の影を映しているような感じである。それなのに、妄りに言うて「月には桂の木がある」とか「ウサギがいる」とか「ヒキガエルがいるのだ」とか言っているが、そんな俗説はすべてしりぞけられるべきものである。

まったくです。

以二先生窮理尽性、固当無可議者。

二先生の理を窮め性を尽くすを以て、もとより議すべきもの無かるべし。

この二人の大先生がモノの理を窮め本質を尽くして考えられたのであるから、これに対して議論をさしはさむなどもってのほかのことである。

けしからん。

しかしながら、一つだけ解消されていない疑問があるのです。

今以半鏡懸照物像、則全而見之。月未満、則中之物像亦只半見、何也。

今、半鏡を懸け以て物像を照らすに、すなわち全にしてこれを見る(A)。月いまだ満たざれば、中の物像はまたただ半見するのみなるは何ぞや。

今、半円の鏡を懸けてモノの像を映してみると、その表面には(たとえ鏡が半円でも)全体が半分の大きさに縮小されて映るものである(A)。ところが、月がまだ満月にならない(半月の)ころにその表面を見ると、月の表面の影(すなわちそれは地球の側を映したもの)は全体の半分しか見えない。これは何故なのであろうか。

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宋・何子遠「春渚紀聞」巻七より。

う〜ん、ほんとうに(A)のように半分の鏡に照らすとモノは全部映る、ことになるのでしょうか。半分しか映らないんじゃなかったっけ? 考え始めるとアタマが痛くなってまいりますね。そんなこと疑問に思わずに二大先生のいうことを信じておけば頭痛しなくて済んだかもだが・・・。

 

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