(こんなふうにシアワセになりたいが)
心もち暖かくなってきたみたいです。ちょっとウキウキしてきますね。でも「まだ月曜日だ」と思いだして、どよ〜ん、としてしまうけど。
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道君(道教の聖者の意であるが、ここでは北宋の風流天子・徽宗皇帝(在位1100〜25)がお忍びで遊郭に出かけたときの通り名)が馴染みの名妓・李師師を訪ねたときのこと。
李師師は歌の名手でもある。「一曲歌っておくれよ」と道君に所望されたので、歌った。
并刀如水、呉塩勝雪。繊指破新橙、錦幄初温、獣香不断、相対坐調笙。
并刀は水の如く、呉塩は雪に勝る。繊指の新橙を破り、錦幄はじめて温かにして獣香断ざず、相対し坐して笙を調う。
并州で造られた名刀は水のようにきらめき、呉の海で作られた塩は雪よりもなお真白い―――
その白さは美しいあなたの細い指のようだ。
その白い指で、とれたばかりのミカンを剥いてくれた。
錦のとばりの中は(二人の吐息で)あたたまりはじめ、麝香のかおりは消えるときなく、二人は向かい合うて笛を合奏する。
「笙を調える」というのは、何やらエロスティックな比喩があるのであろう。
低声問向誰行宿、城上已三更、馬滑霜濃、不如休去、直是少人行。
低声に問う、向(さき)に誰か行宿せん。城上すでに三更、馬滑し霜は濃く、休去するにしかず、ただにこれ人の行くこと少なし。
(寝物語に)そっと訊ねてみたんだ。
「さっきまで宿を探していたのはどこの誰だろうね」
街中も真夜中過ぎ、馬は凍てついた路で滑りそうだし霜は深くたちこめている。
「もう今夜はどこにも行かれないほうがいいと思いますわ。ほんとうに道行くひとなんて誰もいませんから」
・・・道君、その詞を聞き、首をかしげながら問うた。
「何という詞なの?」
「「少年行」(わかものの歌)です」
誰作。
誰か作れる。
「どなたがお作りになったの?」
李師師答えて曰く、
周邦彦詞。
周邦彦の詞なり。
「詞人の周邦彦さまの作品ですわ」
周邦彦、字・美成。銭塘のひと、このとき徽猷閣待制として都にあり。艶麗繊細な詞人として名高く、詞集「片玉集」は大いに喧伝された。
李師師の客でもあることを、世間通の道君は知っていた。
道君、そのあと、いつもに変わらず李師師と戯れて、快楽の一時を過ごした後、宮中にお戻りになると、大いにお怒りになっているふうである。
「李師師さまのところに行かれた後はいつもゴキゲンうるわしゅうござるのに、いったいなにが・・・」
と宦官たちが心配していると、
「宰相の蔡京を呼べ」
と来た。
早速参上した蔡京に宣して曰く、
周邦彦職事廃弛、可日下押出国外。
周邦彦、職事廃り弛めり、日下に国外に押出して可なり。
「周邦彦は、しごともせずに遊び回っているようじゃ。即日に都でのしごとを取り上げて、地方に出してしまえ!」
「御意」
蔡京は肯って、すぐに辞令の準備をさせた。さすがに理由など訊かない。
主君の方が、呟いて言うに、
「わしは以前、李師師のところに赴いた際、
自携新橙一顆、云江南初進来。遂与師師謔語。
自ら新橙一顆を携え、云うに「江南初めて進め来たれり」と。ついに師師と謔語す。
みずから採れたてのミカンを一個持って行ってやった。そして「江南から進上してきたばかりのやつじゃ」と言い、それから師師とあれこれいちゃついたのだ。
そのとき、おそらく先に客として来ていた邦彦が、わしが来たと聞いて
匿牀下、悉聞之。
牀下に匿(かく)れ、ことごとくこれを聞きしならん。
ベッドの下に隠れて、わしと師師とのあれこれをすべて盗み聞きしていたのだろう。
そうでなければ、あのような詞が書けるはずがない! あのコトバを知っているはずがない・・・」
と。
蔡京、聞きながら聞かぬ風情。
「すべて手筈は整いましてござります」
と事務を処理すると、御前をひきさがっていった。
―――ちゃてちゃて。周邦彦ちゃんの運命はいかに? 次回に続きまーちゅ。
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宋・張端義「貴耳集」より。
張端義は字・正夫、鄭州のひとであるが、蘇州に住んだ。南宋・理宗の端平年間(1234〜36)に詔に応じて三度上書するも、「妄言」の罪に問われて韶州に流さる。流されてから書いたのが「貴耳集」で、耳で聞いたことには大切なこともあるから、耳を貴ばねばならない、という趣旨らしいが、内容は「神怪」からさらに「猥雑」のことに及ぶと称せらる。
この話もなんとなく「猥雑」な「妄言」のような気がいたしますが・・・。