(われらもときには祈りもする)
本日は昭和のころの同僚どもと久しぶりに飲み会。場所はなんと六本木。
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当時はバブルといわれる時代だったんですよ。しかし時は流れ、われらも老いた。
人在世間愛欲之中、独生独死独去独来。
人、世間愛欲の中に在りて、独り生じ独り死し、独り去り独り来たる。
ひとは世間の愛と欲の中に、たった一人で生まれてきてたった一人で死ぬものなのだ。たった一人で行かねばならない、来たときがたった一人であったように。
どこへ行くかといいますと、
当行至趣苦楽之地、身自当之、無有代者。
まさに行きては苦楽の地に至趣すべく、身みずからこれに当たりて代わる者有る無し。
苦しいところか楽しいところか、行くべきところにおもむかねばならないのだ。それは自分自身で引き受けねばならず、誰かに代わってもらえるというものではないのだ。
(中略)
なのに、
何不棄衆事、各曼強健時、努力勤修善、精進願度世。
何ぞ衆事を棄て、おのおの強健の時に曼(およ)びて努力して善を勤修し、精進して度世するを願わざる。
どうしてすべてのわずらわしい事を棄ててしまって、みな体が強く健やかな間に、力を尽くして善き事を行い、罪を無くすよう精進してこの世のことを過ごそうとしないのか。
もしそうしたら
可得極長生。
極長生を得べし。
ほんとうの意味での長生きができるであろうに。
おまえたちは、
如何不求道。安所須待。欲何楽哉。
如何ぞ道を求めざる。いずくんぞ須待するところあらん。何の楽しみをか欲(おも)わんや。
どうして正しい生き方を求めようとしないのか? この世でいったい何を待っているのか? いったいどんないいことがあると思っているのか?
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―――とホトケさまがおっしゃっています。もっと強健のころに精進すべきだったのかも知れんなあ。いや、まだ間に合うはずだ・・・とぶつぶつ言いながら、刺身とか白子とかむしゃむしゃ食って帰ってまいりました。うまかった。曹魏・康僧鎧訳「仏説無量寿経」巻下より。