(毎年、春先になると誰かに呼ばれている気がするんです・・・)
土曜日に34年ブリに同級生と会ったのですが、今日は今を去る26年前に机を並べた同僚から電話かかってきた。一方、キンキンと頭痛がひどい。何かがおれを呼んで、どこか遠いところに連れて行こうとしているのカモ知れぬ。みなさんには予防的に、とりあえず別れの言葉だけは述べておこう。さようなら。
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唐のころ、山西・曲沃県の尉官であった孫緬の家の下男に六歳になる男の子がいたのであるが、この童子が
忽視緬母、笑云、娘子総角時曾養一野貍。今憶否。
たちまち緬が母を視て、笑いて云う、「娘子、総角時かつて一野貍を養わん。今も憶ゆるや否や」と。
突然、孫緬のおふくろさんを見て、にやにや笑いながら言いだした、
「おじょうたま、まだ幼くていらちたころ、一匹のタヌキを飼っていたことがございまちょう? いまでも覚えておられまちゅかな?」
と。「貍」はネコの場合とタヌキの場合があります。ここは「野貍」とあるので、「タヌキ」なのだろうと解しておきます。
おふくろさんは五十いくつかであったが、言われて
「そういやそんなこともあったわねえ」
と思い出した。
「それにしても、なんでそんなことを言いだすのだね、この子は・・・」
童子、にやにやしながら言う、
爾時野貍、即奴身也。
爾時の野貍、すなわち奴が身なり。
「あの時のタヌキこそ、すなわちおいらの前身でございまちてなあ」
「はあ?」
「おいらは
鷹逐走入古冢、後為猟人撃殪。
鷹に逐われて古冢に走り入り、後に猟人のために撃殪さる。
タカに追われて古い墓の穴に入り込んで隠れていたのでちゅが、その後、出てきたところを猟師に見つかって「どかーん!」と撃ち殺されたのでございまちた」
「そういや、突然どこかに行方不明になっちゃったんだよね、あのタヌキ・・・」
「おいらは撃たれた後、
見閻羅王、王以無罪、当得人身、遂生海州為乞人子。
閻羅王に見(まみ)ゆるに、王以て罪無し、まさに人身を得るべしとし、遂に海州に生じて乞人の子と為れり。
えんま王さまにお会いいたちました。えんまさまは「おまえには罪が無い。次はニンゲンに生まれ変わりじゃ」と判決を下さりまして、海州の地で、コジキの家に生まれ変わったのでございまちゅ。
しかしコジキでございまちたので、
苦飢寒、二十而死。
飢寒に苦しみ、二十にして死す。
飢えと寒さに苦しんだ末、二十歳になったときに死んでしまいまちてな。
そこでまたえんま王にお会いちまちた。えんまさま曰く、
与爾作貴人家奴。
なんじに貴人家の奴となるをゆるさん。
「おまえは、今度は身分の高いひとの家の下男にしてやろう」
と。そこでついにここに生まれてまいりまちたのね。
あのころから、
今已三生矣。
いますでに三生なり。
今までにもう三回めの生なのでござりまちゅぞ」
そしてまたにやにやと笑ったのでございました。
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というぐらいの月日が、あの青春の時節から流れているのである―――と思うと感慨もひとしおでございまちてな。唐・戴君孚「廣異記」より。
なお、「貴人家の奴」というのは、確かにつらつら考えてみると、あんがいいい身分のような気がしてまいります。