←じゃがいも食いたい。
今日は頭痛もおさまりしごとも無く、すごく楽しかった。
・・・・・・・・・・・・・・
「しかし明日はもう月曜日。ああ、おお、うう・・・」
と嘆いていると、向こう岸から
「何を歎いておるのじゃ。はやくこちらへ来なされ」
と先生の声がしました。
「先生、そちらはどんな感じですか」
と問うと、先生は歌いて曰く、
鉏犂満野及冬耕、 鉏犂(しょ・り)野に満ちて冬に及びて耕し、
時聴児童叱犢声。 時に児童の犢(こうし)を叱るの声を聴く。
「鉏」(ショ)は「鋤」(ジョ。すき)で自分の前の土地を鋤く。「犂」(リ)は牛などに引っ張らせて通り過ぎた土地を鋤く。便宜上ここでは「スキ」と「クワ」と訳させていただきます。
スキやクワ(を持ったひとびと)が野にいっぱいに出て、冬までに土地を耕しておこうとしている(ムギの植え付けをするのであろう)。
時おり、子どもたちが、子牛を(追って、よそに行ってしまわないように)叱りつける声が聞こえる。
のどかな農村の風景ですね。
さてさて、このわしは官職を追われ、隠棲して農業にいそしんでおるわけじゃが、
逐客固宜安散地、 逐客(ちくかく)はもとより散地に安んずるによろしきに、
閑民何幸楽昇平。 閑民は何ぞ幸いなる、昇平を楽しめり。
「逐客」は追放された官吏のこと。もともとは秦の始皇帝が天下統一したとき、他の國の官吏を追放して秦出身の官吏を各地方に派遣した。この際追放されたひとたちを「逐客」と呼んだのに基づく。「昇平」は天下の大いに平穏なるをいう。
クビになったわしは、もちろん瘠せた土地を与えられても文句は言えないのですが、
ヒマに暮らしているのに、ありがたいことに天下泰平の中で気楽にさせていただいておる。
収穫も終え、秋も晚れてきた。御覧なされ。
雪花漫漫蕎将熟、 雪花漫漫として蕎はまさに熟さんとし、
漉t離離薺可烹。 漉tは離離(りり)として薺(せい)烹(に)るべきなり。
「雪花」といっていますが、これはソバの花の真っ白いのをまず視覚に訴えて言ったもの。「漫漫」は遠くまではるかに、目いっぱいに広がるさま。「離離」は葉や実がたくさんついているさま。「薺」(セイ)は「なずな」。葉を煮て食う。
雪のように白い花を見渡す限りに咲かせて、ソバはまもなく取り入れ時じゃな。
高フ葉がたわわについて、ナズナはもう煮て食えるようじゃぞ。
食い物には事欠かない。しかもカラダに良さそうなのばかりである。
うっしっし。
飯飽身閑書有課、 飯は飽き、身は閑なれども書に課あり、
西窓来趁夕陽明。 西窓に来たり趁(お)う、夕陽の明なるを。
腹いっぱいになり、何もやることは無いのだが、読書に毎日ノルマがあるので、
西の窓の方に移って、夕日の光を追いかけるのであった。
読書に毎日ここまでは読もう、というノルマがあるらしいです。楽しいことのノルマだから苦になるはずもなく、さらにノルマを考えることさえ楽しいことでありましょう。
・・・・・・・・・・・・・
「いつまでそちら側にいるのだ? そちら側が好きなのかな?」
と先生は呼びかけるのです。
「いや、そんなことはありませんよ」
わしは向こう岸に行くことにした。というか以前からそういうことにしていて、今は橋か渡し船を探しているところです。橋も渡し船も見つからないなら、どぶんと泳いで渡ろうかな。たとえ水に流されてしまったとて、こちら側にいるよりはいいような気がするし。
なお、↑の先生は南宋の放翁・陸游さんです。七律「初冬」(「剣南詩稿」所収)。淳熙八年(1181)十月の作。時に陸游は数えで五十七歳、しばらく前に災害時に倉庫の備蓄米を安易に救済用に使ってしまったのを責められて地方官をクビになっておりまして、この時期郷里で自作農中。この後、晩年に至ってもうあと二度召しだされて、そして最終的に大失敗をしてしまうので気の毒なのですが・・・、それはまた別のお話に。