平和な世界に暮らしたい・・・。
台風も来ておりますが月曜日もすぐそこまで来ております。あーあ・・・。
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さて、昨日の続きです。
王さまの話を聞いた忠義に篤い臣は、その次の日からしばらく王宮に姿を見せなかった。
そして数日後、旅姿のまま王宮に現れ、すぐさま王さまに謁見を求めた。
王さまが会見すると、その臣は、
「王さま、どうぞお喜びくださいませ。王さまのご希望をかなえてまいりました」
と言うのであった。
「なにを? どうしたじゃ?」
「王さまが五通仙を得たる仙人を他国に行かせないようにしたい、というご希望をかなえてまいったのでござります。どうぞこれをご覧ください!」
と、ニワトリの卵よりは幾分か小さい、丸いモノを両手に載せて差しだしたのであった。
「なんじゃ、それは?」
「ははー。わたくし、あの晩、王さまのお悩みをお聞きした後、
輙便往至、挑仙人隻眼。
すなわち往き至りて、仙人の隻眼を挑(と)る。
すぐに仙人の住む山に向かい、仙人をお探し出し申し上げて、その両目を刳りぬいてきたのでございます。
仙人の天眼力を籠めた両目が、まさにこれでございます。
臣以挑眼、更不得去、常住是國。
臣の眼を挑れるを以て、さらに去るを得ず、この国に常住せん。
わたくしが両目を刳りぬいてまいりましたから、仙人どのはこの国から出ていくこともできず、ずっとこの国に住み続けることになるでありましょう」
「どひゃー!」
王さまと近侍の臣下たちは驚いた。
「なんということをしたのじゃ。
所以貪得仙人住者、能見地中一切伏蔵。爾今毀眼、何所復任。
仙人の住むを貪り得んとするゆえんは、よく地中の一切の伏蔵を見るがゆえなり。なんじ、今、眼を毀つ、何のまた任ずるところならん。
仙人さまにこの国に住み続けてほしい、と思ったのは、仙人さまが地下に隠された珍しい宝ものの存在を見ぬくことができる視力を持っておられるから、であった。ところがおまえは今、その仙人さまの目のたまを潰してしまったのだ。いったい仙人さまに何をしてもらおうというのか」
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あーあ。しなくていいシゴトをして、困ったこと仕出かしちゃった。
―――しかしながら、「しなくていいシゴトをして困ったことを仕出かした」ことが本質的な問題なのではないのであった。
世間之人、亦復如是。見他頭陀苦行、山林曠野、塚間樹下、修四意止及不浄観。
世間のひと、またまたかくの如し。他(か)の頭陀の、山林曠野、塚間や樹下に苦行し、四意止及び不浄の観を修むるを見る。
世のひとびとのやっていることも、またこれと同じである。
ひとびとは、苦行者が、山林や荒野、墓場、樹木の下などに暮らし、「四意止」や「不浄」の段階まで進んでいるのを見るわけだ。
「四意止」というのは、
@
すでに生じた悪は二度と生じせしめない。
A
いまだ生ぜざるの悪は絶対に生じせしめない。
B
すでに生じた善はさらに増大せしめる。
C
いまだ生ぜざるの善は絶対に生じせしめる。
の四つのことに勤めること。
「不浄観」は「五停心事」の一で、「多貪衆生不浄観」(欲望の多いひとびとを不浄とみる心の在り方)のこと。なお「五停心事」はこの「不浄観」からはじまるのですが、最後は「多障衆生念仏観」(悟りへの障害の多いひとびとをこそ、ホトケであると念じる心の在り方)に至ることになります。
さてさて―――
ひとびとはその修行者を尊敬し、家に連れてきて、食べ物を施し衣類を与え、種々の供養をする。
その供養によって、逆に
毀他善法、使道果不成、喪其道眼、已失其利、空無所獲。如彼愚臣唐毀他目也。
他(かれ)の善法を毀ち、道果をして成さざらしめ、その道眼を喪わしめ、すでにその利を失いて、むなしく獲るところ無からしむ。かの愚臣の他目を唐毀するが如し。
修行者の善いところを破壊してしまって、修行の果実を成らせることなく、修行して得た眼力も喪失させてしまうことになるのだ。こうして修行者の持っていた利点を無くさせてしまっているのだから、供養したところで何の福徳も得るところとならない。愚かな臣が仙人の目をおおいにぶっ潰してきたのと、どこか違いがあるであろうか。
ということで、世間一般のひとが喜ぶような方法で修行者をもてなすと、修行者の修行の意味が無くなってしまうこと、が問題であるようです。
余計なシゴトをするな!
という教訓では無くてほっとしました。よね?
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南朝斉・天竺三蔵求那毗地訳「百喩経」より(第三十六話)。
明日が来るよ。月曜日だよ。台風がたとえその熱帯の力もて交通機関を停めたとしても午前の早いうちだけ。熱帯の力が開けた風穴も、あっという間に温帯の勤勉が塗りつぶしてしまうんだろう。