平成26年7月26日(土)  目次へ  前回に戻る

←明日の夕刻にはこんな感じかな。

休日なので今日はシアワセでしたが、明日の夕刻、笑点やサザエのころには、また明後日のことを考えてすごい絶望的になっていることでしょう。

どうせなら明日の晩に至らぬうちに↓のようになってしまった方がシアワセかも。

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紀元前6世紀のことでございます。

魯の大夫である声伯・公孫斉嬰というひとは、少し前に夢を見た。その夢というのは、

渉洹、或与己瓊瑰、食之。

洹(えん)を渉るに、或るひと己に瓊瑰(けいかい)を与え、これを食らわす。

洹水は魯の国を流れる川。

洹水を渡る途中で、不思議なひと(川の神であろうか)が現れて珠玉をくれ、「それを食べなさい」というのである。

すると

泣而為瓊瑰、盈其懐。

泣きて瓊瑰を為し、その懐に盈てり。

じわじわと涙が出てきたのだが、その涙がまた珠玉となり、ふところにたまっていっぱいになった。

どういうわけか、声伯はそこで歌をうたった。

考えて作ったというのではなく、自然にことばが出てきて歌になったのだ。

曰く、

済洹之水、贈我以瓊瑰。帰乎、帰乎、瓊瑰盈吾杯乎。

洹(えん)の水を済(わた)らんとして、我に贈るに瓊瑰を以てせり。帰らんか、帰らんか、瓊瑰は吾が懐に盈ちたり。

ふるさとに近づき、洹の川を渡ろうとしたところで、どなたかわたしに珠玉をくださった。

帰ろうよ、帰ろうよ。珠玉はもうわたしのふところにいっぱいになったのだから。

眠りより覚めて思うに、

「この夢は不吉な夢のようだ」

古代の死者は口に玉を含ませて葬る(「含玉」といいます)ので、「玉を食べる」というのは「死者になる」ことの象徴・・・かも知れない。

懼不敢占也。

懼れてあえて占わざるなり。

コワいので、占夢師に夢解きをしてもらうの止めておいた。

その後、声伯は、鄭の国に重要な使者として供回りを引き連れて出かけ、無事用務を果たして帰ってまいりました。

故国の貍脤(りしん)の町まで帰ってきて、洹水を越えるのももう間もなく。

そこで思った。

余恐死、故不敢占也。今衆繁、而従余三年矣。

余、死するを恐る、ゆえに敢えて占わざるなり。今、衆繁(おお)く、余に従うこと三年なり。

「わしは、早急に死ぬサダメになっているのかと思って、あえて夢占いにかけなかったのじゃった。しかし、今、わしにつきしたがう部下は多く、あの夢を見てからもう三年にもなった。

珠玉が懐いっぱいになる、というのは、部下がこのように増えることを言っていたのかも知れない。

無傷也。

傷(いた)む無きなり。

心配することはなかろう」

そこで、占夢師を呼んで夢解きをしてもらうことにした・・・のだが、

言之、之莫而卒。

これを言うに、莫に之(いた)りて卒せり。

そのことを話していたその日の晩に、急死してしまった。

こうして、口に珠玉を含ませられて、故郷に向かって洹水を渡ることになったのである。

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「春秋左氏伝」魯・成公十七年(紀元前574)冬11月のことだそうでございます。

今日も「夢」のお話になりましたね。「夢」は、アタマにすごい飾りをつけ、目の周りに縁取りをしたコワい呪詛者(おそらくオンナ)のでかい顔が、寝ているひと(「夕」)の上の覆いかぶさっている、という怖ろしい形の文字です。この字づらを見るだけでコワくなってきてしまいます。たしかイーグルスの星野仙一監督が色紙に「夢」と書くらしいのでそれもコワいです。

明日の夜はもう絶望の夢しか見ないであろうが、今日だけはまだ良い夢をみる可能性もあるのではないか―――と思いながら寝ようと思いまして、寝る前に一応毎日の習慣で岡本全勝さんのHPを見ると・・・。お。今日は更新していないようです。またどこかに出張かな?

 

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