暑くなってきましたので、平日も昼間から木蔭でごろごろ眠っていたものである。沖縄に住んでいたころは、会社の近くにも木蔭でごろごろするのに適わしい木がたくさんありました。(ので、よく平日の昼間からごろごろしていた。)
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宋の時代、浙江・句章(こうしょう)のひと呉平の家では門前に梧桐の苗木を植えたが、これがどんどん大きくなって、たちまち鬱蒼と葉の茂る大樹となった。
上有謡歌之声。
上に謡歌の声有り。
葉の茂った枝の上の方から、誰もいないのになにやら歌声さえ聞こえてくるのだ。
呉平は出入りの際にこの歌を聞いて、何と歌っているのか分明ではなかったが、
「いずれにしろまともなものではあるまい」
と、
悪而斫殺。
悪(にく)みて斫殺す。
この木をいやがって斬り倒してしまった。
その後、呉平は従軍して北方の淮水近辺に赴き、
首尾三載。
首尾三載となれり。
出かけてから足掛け三年が経った。
何の連絡も無いので、家人も近隣のひとたちも呉平の安否をみな心配していたところ、
死桐歘然自還立於故根之上。
死桐、歘然(くつぜん)として自らまた故根の上に立てり。
斬り倒されたはずの桐の木が、突然に以前の根の上にまた生き返り、幹と枝葉を延ばしたのであった。
ひとびと不思議なことに思い、何かの兆ではないかと桐の木を見上げると、
又聞樹巓空中歌。
また樹巓の空中に歌を聞く。
また聞こえたのだ。木のてっぺんのあたりの空間で、なにものかが歌っているうたが。
―――ああ、これは不吉な歌だぞー!
・・・とみなさん思いますよね。
耳をすませてその歌を聴いてみると、曰く
死桐今更青、 死桐、いまさらに青く、
呉平尋当帰。 呉平、尋(つい)でまさに帰るべし。
適聞殺此樹、 たまたまこの樹を殺すと聞くも、
已復有光輝。 すでにまた光輝有り。
倒された桐がいままた青く繁り出したので、
呉平さんはまもなく帰ってくるだろう。
以前ちょっとしたころでこの木を伐り倒してしまったが、
その木がこうやってまた光り輝くようになったのだから。
―――あ、これは呉平さんは死んで帰ってくる、というようなオチだぞー!
・・・とみなさん思ったと思いますが、
平尋復帰如鬼謡。
平、尋で復帰すること鬼謡の如し。
しばらくすると呉平は不思議な歌のとおり、無事帰ってきたのであった。
それからは呉家では門前の桐の木を大切にしたので、その木は州内でも最大の桐の木になったが、その後その木の上で何かが歌っているのを聞いた者はいない。
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以上。南朝宋・劉敬叔「異苑」巻六より。
歌うたってくれなくてもいいのでごろごろしたいよう。