平成26年6月7日(土)  目次へ  前回に戻る

 

今日も雨降り。月曜日までに世界が滅亡して会社に行かなくてよくなってもらわないと困りますので、目指せ、明日一日で世界滅亡! わひゃひゃひゃ。

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さてさて。昨日の続きでございます。

翌年は周の恵王の二十二年(魯・僖公五年、前655)でございます。

謹慎の解けた轅濤塗は、早速斉国にお詫びの挨拶に出かけた。

その途中に、申侯が賜った虎牢の地に寄り、申侯にも面会した。騙されたとか騙されなかったとかそんなことは一言も口にせず、虎牢の地の交通の要所であるのを褒め、またここに城(都市)を築くことを提案した。

「・・・そうですかな。わたしもそうしたいのはやまやまだが、先立つものが・・・」

「都市の建築が鄭伯にとっても斉公にとっても役に立ちましょう。それに御身にとっても

美城之、大名也。子孫不忘。吾助子請。

これに美(おおい)に城(きず)かば、大名(だいめい)なり。子孫忘れざらん。吾、子の請を助けん。

ここに立派な都市を建築すれば、たいへんな名誉です。子子孫孫まで御身のことを尊敬いたしましょう。及ばずながらわたくしもそのためにひと肌脱いでまいりましょう」

轅濤塗は斉に向かい、そこで斉の君臣や各国から集まっている使臣らに、申侯のために虎牢に都市を築くことに援助を求めた。

このときは申侯は覇者である斉の国から評価されていたので、そこばくの援助が集まり、轅濤塗は帰路これを申侯に届けて都市の建築を開始させた。

その足で、轅濤塗は鄭伯のもとにも赴いた。時の鄭伯は「軽率」のそしりのある文公というひと。

轅濤塗は鄭伯に対して言うた。

「わたくし、虎牢の地の申侯どのの領地を通り過ぎましたところ、都市を建築しはじめておられました。その後、斉の国に赴いて聞いたところでは、この築城には斉の君臣がたもずいぶん後援なさっておられるよしにございました。そこで、取り越し苦労とは思えども少し心配になりましたので、帰り際に申侯どのに

美城其賜邑、将以叛也。

美(おおい)にその賜邑に城(きず)くは、以て叛せんとすなり。

主君から領地としていただいた土地に、立派な都市を造るのは、そこに拠って叛乱を起こすのではないかと疑われることでございますぞ。

と申し上げてまいりました。申侯どのも

「ここに築城することは鄭にも斉にもよいことと考えたのじゃが、そのような疑いをもたれることになるのか」

と理解してくださいましたから、これ以上、都市の建築を続けることは無かろうと思います。

鄭伯さまのような賢君が、申侯どののような忠義のお方を疑われることはよもございますまいが、どうかそのようなおウワサを聞いても、もう建築は中止しているはずですから、御心配なさりませぬように」

「そうでちゅか、そうなんでちゅか」

鄭伯はその場では頷いたが、そのあと、人を遣わして虎牢の様子を探らせるに、申侯は轅濤塗の警告が耳に入らぬのか、都市の建築作業は続行中とのことである。

「・・・ということは申侯ちゃんは、「叛乱を起こすのではないか」と疑われても構わない、ということでちゅか・・・」

鄭伯は大いに疑いを持ったのである。―――

―――この年の秋、衛の国の首止という地で、会盟のことがあった。周王の太子のもとに諸侯が集まり、犠牲獣の血を啜って忠節を誓い合う、というものだが、実際には太子に直接に、ではなく太子を押し立てて、覇者である斉の桓公が自分に忠節を誓わせるものなのであった。

鄭伯も自国の兵を率いて首止の地まで来ましたが、

「うう、最近しばらく斉の桓公さまには顏見せしてないし、会って睨まれるのもイヤでちゅね。もともとうちと陳の国は数十年前は楚の国と同盟したりしてたから、斉としてはあまりよく思っていないのでちゅよねー」

とぐずぐずしているところへ、周の王さまの使いの者というのが面会に来た。

この「使いの者」というひとが言うには、

吾撫女以従楚、輔之以晋。可以少安。

吾、女(なんじ)を撫して以て楚に従わしめ、これを輔くるに晋を以てせんとす。以て少しく安んずるべし。

(周王さまは)「わしは、鄭伯には(斉ではなく、地理的に鄭に近い)楚の方と仲良くしてもらいたいと思っている。斉にならぶ大国である晋にもその方針で鄭を支援するように言うてあるから、安心して従ってほしい」

とのことである、と。

もし王がまことにそのような提案をしたとしたら、周王の周辺にも斉桓公の強大になるのを嫌がる勢力があったのであろう。

背景事情はともかく、鄭伯は悦びました。

「うひょ。ではこの首止の地での会盟には出なくていいでちゅね、うっしっしー」

鄭伯は

故逃帰不盟。

故に逃帰して盟せず。

この王の使いの者のことばを理由として、盟の会合をドタキャンし、鄭の軍さえ放り出して単身国に帰ることにした。

「ドタキャンですと?」

見かねて大夫の孔叔

国君不可以軽。軽則失親。失親、患必至。病而乞盟、所喪多矣。君必悔之。

国君は軽を以てすべからず。軽なればすなわち親を失う。親を失えば患(うれ)い必ず至らん。病(へい)して盟を乞うも喪うところ多きかな。君必ずこれを悔いん。

「君主たるもの、軽率なことはなさってはなりませんぞ。軽率なことをなさると、いずれ親しい者たちにも見限られます。親しい者たちに見限られたら、イヤなことが必ず起こります。弱ってしまってから「やっぱり同盟に入れてくだちゃい」と頼んだところで、多くのことを失うことになりましょう。あなたは必ず後悔なさりますぞ」

「なんと言ってもいやでーちゅ。周王さまがおっしゃっているのでちゅー!」

鄭伯は孔叔の諫言も聞かず、国に逃げて行ってしまった。・・・・・・

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「春秋左氏伝」僖公五年条より。

もう一回続きます。明日の晩、サザエを見てとろろんと家族団欒したあとのあたたかな夜に、続きを更新する予定。

 

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