また肝冷斎が行方不明に・・・。しかたないので今日からは関西在住の関西斎が更新や。
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劉敬宣といえば東晋末の名将、智慧も度胸もあって、また後に即位して宋の武帝となる劉裕と親しい関係にあり、大局をみるにもすぐれた政治家でもありましたが、そのひとが、
嘗夜与僚佐宴坐。
嘗て、夜、僚佐と宴坐せり。
ある晩、幕僚たちと宴会していた。
宴たけなわなるころ、突然、
空中有投一隻芒履於座。
空中より一隻の芒履を座に投ずるあり。
上空から一揃いの草履が宴席に落ちてきた。
草履はよりによって
墜敬宣食盤上。
敬宣の食盤の上に墜つ。
主人の敬宣の食べ物を載せる皿の上に落ちたのである。
しかも面妖なることにその草履、
長三尺五寸。
長さ三尺五寸あり。
長さは1メートルぐらいもあった。
それほど巨大な草履であるのに、
已経人著、耳鼻間並欲壊。
すでに人の著を経、耳鼻の間、ならびに壊れんとす。
すでに相当だれかが履いたものらしく、鼻緒のつけねのあたり、左右どちらも壊れかけていた。
いったいどういうひとが履いていたものなのであろうか。
劉敬宣は博学のひとであったが、この草履については黙りこくっているだけで、
頃之而敗。
頃之にして敗せり。
しばらくして、殺されてしまった。
敬宣は劉裕と結んでいたから、二人の間に東晋からの簒奪の画策があるのではないかと怪しんで、彼の幕下にあった東晋の皇族の一人が刺殺したのである。西暦415年のことであった。
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宋・劉敬叔「異苑」巻四より。
みなはんも草履が皿の上に乗ったら気をつけなはれや。