今日の関東地方の風は特段に寒かった。また亜熱帯ばなしで盛り上がりましょー。
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広西の地はいにしえの蒼梧郡である。その地出身の王士孌は漢の末ごろに交趾(北ベトナム)に赴いて、そこで死に、現地に葬られたのだが、その墓には南方の珍宝が多数埋められたと噂された。
ところが、その墓は、
常蒙霧、霊異不恒。屢経離乱、不復発掘。
常に霧を蒙り、霊異恒ならず。しばしば離乱を経、また発掘せず。
いつも霧に隠されていて、そのあたりでは不思議な事象がよく起こった。それに、漢の末から打ち続く戦乱のうちに、交趾はチュウゴクの支配を離れたりしたので、士孌の墓を掘り出しに行く者はいなかった。
それから150年以上も経て、晋の時代も興寧年間(363〜365)のころになって、太原出身の温放之が交趾の刺史として赴任したとき、その秘宝のことを聞き、
躬乗騎往開之。
躬ずから騎に乗じて往きてこれを開く。
自ら馬に乗り、わずかな供回りを連れてその墓をあばこうとした。
ところが、温刺史は死体となって帰ってきたのである。
戻ってきた近習の話では、霧や雨に阻まれて道を失い結局その墓に至りつくことができず、
還即墜馬而卒。
還らんとして即ち墜馬して卒す。
帰り道につこうとしたときに、馬から落ちて息絶えた。
というのであった。
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南朝宋・劉敬叔「異苑」巻七より。
ちょっと待ってください。いくら広西や北ベトナムが舞台だと言ってもこんなお話では盛り上がれませんよー。明日はもう月曜日、そのことを忘れられるようなぐらい盛り上がるお話を期待したのに。・・・コドモの期待を裏切るなんて怪しからん。
ちなみに昨日はMTさんの家に行って、コドモどもと遊んでいるうちについつい泊まってしまいました。コドモと遊んでいるとこちらもコドモなのについつい夜更かししてしまいましたね。その間にみなさんもう忘れてしまった、とは思いますが、一昨日の宿題
―――孔子と墨子、どちらが忙しかったでしょうか?
の答え合わせをいたしますよ。
孔子無黔突、墨子無煖席。
孔子に黔突無く、墨子に煖席無し。
孔子の家には黒くなった煙突が無く、墨子の家には暖かい座布団が無かった。
孔子は新しい思想を説くために、旅から戻るとすぐに旅に出てしまったので、孔子が家でメシを炊く日は少なく、このため孔子の家の煙突は煤けることが無くて、いつまで経っても新品同様であったという。一方、墨子の方はメシを炊くどころではなく、座って座布団が温まる前には次のしごとに向かって家を出てしまっていた、というのですから、二人を比べると墨子の方が忙しかったことになりますね。
以上、答え合わせ終わり。