平成25年11月18日(月)  目次へ  前回に戻る

 

こんにちはー。肝冷斎はあちら側に行ってしまって週末まで帰って来ないそうなので、本日はこちら側で煩礼斎が更新いたします。

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あちら側とこちら側は実はつながっているんです。

・・・五代のころ、廬山に油売りがおった。

母一人子一人で、その母につかえてまことに孝行息子であった。

ところが、この油売りが

為暴雷震死。

暴雷の震死するところと為る。

雷に打たれて死んでしまった。

その母、

「我が子は親孝行であり、何の落ち度も無いのに雷に打たれて死ぬというのは理不尽である」

日号泣于九天使者之祠。

日に九天使者の祠に号泣す。

毎日毎日、九天(←一番上の天)との連絡をする神様の祠の前で泣きわめいていた。

すると、ある晩、母の夢の中に赤い服を着た人が現れ、告げて曰く、―――

汝子恒以魚膏雑油中、以図厚利。

汝の子はつねに魚膏を以て油中に雑(まじ)え、以て厚利を図らんとせり。

おまえの子は、いつも、(原料費の安い)魚のあぶらを植物性の灯油に混ぜて売り、これによって大きな利益を上げていたのじゃ。

商人が商品を詐わるだけでも大きな罪であるが、

且廟中斎醮恒用此油、腥気薫蒸、霊仙不降。

かつ廟中の斎醮にはつねにこの油を用い、腥気薫蒸して霊仙降らず。

おまけにこのあたりの神社仏閣では灯明にすべておまえの子の売る油を使っていたから、煙がなまぐさくて神様仏様を祀っても天から降りてくることができなかった。

ひとびとの祈りを妨げたのである。

震死宜矣。

震死も宜(むべ)なるかな。

雷が命中して死んだのもしかたあるまい。

―――目がさめた。

その母は納得したのかしなかったのか、少なくともそれ以降、祠に行って泣叫ぶことはなくなった。

・・・というように、あちら側からこちら側に情報が伝達されることがあるのである。

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宋・徐鉉(字・鼎臣)「稽神録」より。本日も、「かみなりぐらい命中してもいいや」と思わされるような、ツラい一日であった。

 

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