今日はドラフト会議の日でした。来年はどんな若いのが観れるかと思うとワクワクします。しかし・・・
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江西・臨川の東興の地にて、あるひと、
入山得猿子、便将帰。
山に入りて猿の子を得、すなわち将(ひき)いて帰る。
山中に入ったとき、子ザルを捕まえて連れ帰った。
すると、
猿母自後逐至家。
猿母、後より逐いて家に至る。
母ザルが後を追ってきて、ついにその人の家までやってきて、近くの樹に昇って子ザルの方を見ている。
そのひと、それを知って、はじめいたずらのつもりで
縛猿子於庭中樹上、以示之。
猿子を庭中の樹上に縛りて、以てこれに示す。
子ザルを庭の樹上に縛り上げて、わざわざ母ザルに見せつけた。
そして棒で突いたり、打ったりした。
子ザルは泣き喚いた。
其母便搏頬向人、若哀乞、直是口不能言耳。
その母すなわち頬を人に向けて搏(う)ち、哀を乞うがごときも、ただにはこれ口言うあたわざるのみ。
母ザルはその人の方を向いて、自分の頬を何度も叩いた。どうやら憐みを乞うているらしいのだが、サルなので言葉は発することができないようである。
何度も何度も自分で自分の頬を打つ母ザルを見ているうちに、だんだん残忍な気持ちが湧いてまいりました。
「ひひひ。サルごときが親子の情けか・・・。
既不能放。
既に放つ能わざるなり。
こうなってはもう手放すわけにはいかんのう」
そして、にやりと笑いまして、
「こうしたら、どうするのかな?」
棒で、思いきりに子ザルを殴った。何度も何度も殴った。激しく殴った。
竟撃殺之。
ついにこれを撃殺す。
とうとう子ザルを殴り殺してしまった。
「おお、なんだか静かになったと思ったが、もう死んでおったか」
そしてまたにやりと笑って、母ザルを見た。
猿母悲喚、自躑而死。
猿母悲喚し、自ら躑(と)びて死す。
母ザルは子ザルが死んだのを知るとひときわ高く悲しみ叫んで、自ら樹上から飛び降りて、死んだ。
「あまりに悲しみが過ぎるとはらわたが断たれると聞くが、このサルはほんとうに悲しかったのかな?」
此人、破腸視之、皆断裂矣。
この人、腸を破りてこれを視るに、みな断裂せり。
その人、母ザルの腹を裂いて中を見てみたところ、そのはらわたはあちこち断裂していた。
「・・・・・・・」
これを見てさすがに粛然たるあり。
「わしはいったいなぜこんなことをしてしまったのか・・・」
と後悔したということだが、
未半年、其人家疫、一時死尽滅門。
いまだ半年ならずして、その人の家疫し、一時に死に尽くして滅門せり。
その後半年も経たないうちにその人の家は疫病に罹り、あっという間に一族死に尽くしてその家は絶えた。
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というように、若いのを連れて来てそのまま腐らせてしまったりしませんように。天網は洩らさず、天道は好還するものでございます。
ちなみにこの悲しいお話は晋・陶淵明の撰と伝わる「捜神後記」より。
このお話は「世説新語」に載る晋の桓温がらみの「断腸」の故事に基づき、ほとんど筋立ては同じなのですが、「世説新語」と比べて登場人物が残虐でイヤになってまいります。同じ伸び悩む若手を揶揄するにしても、マリンズファソと阪神ファソぐらいの違いがあるというか。
明日はそちらのお話をご紹介します(イヤだと言われてもやる)ので、じっくり比較してみてください。