なんとか荷造り終わる。
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北宋の仁宗の時代に宰相となった文靖公・呂夷簡には、公綽、公弼、公著、公孺という四人のまだ幼い子がおった。
ある日、この四人が家の庭で遊んでいるとき、
夫人使小鬟持四宝器、貯茶而往。
夫人、小鬟をして四宝器を持して、茶を貯えて往かしむ。
おくさま(四人の母である)が、まだ幼い侍女に四つのすばらしい碗に茶を淹れて、四人のところに持って行かせた。
この侍女が中庭に入る門のところで何かに躓いて倒れ、
砕之。
これを砕く。
四つの碗を地面に落として砕いてしまったのだった。
それを見て―――
公綽はすぐに、侍女に大丈夫か、と問いかけた。
公弼はこのままでは誰かがケガをするのではないかと言って、四つの宝器のかけらを拾い集めた。
公孺は母親のところに走って、事が起こったことを知らせに来た。
独公著凝然不動。
独り、公著のみ凝然として動かず。
ただ、公著だけはじっとしたままで何もしなかった。
この様子を見て文靖公は夫人に向かって、
「四人の子はともにいずれ劣らず国家の用に資するであろうが、世が乱れたときに役に立つのは公著だろうな」
と告げたそうである。これはもともと四人の子の適性を見るため、文靖公と夫人が侍女に言い含めてわざと倒れさせたのだともいう。
呂公著は長じて契丹との間に使臣として往来し、あるいは女真の動向を牽制し、「平章軍国事」(宰相兼最高司令官)となったひとである。
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宋・孫升「孫公談圃」より。
荷造り過程では多くの形あるものを毀してしまいました。が、よくぞ乗り切った感じ。自分を誉めてやりたいことであるよ。