いろいろショック。
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揚州の町外れのお寺に、葬られずに置かれたままの棺があって、それに輓聯(棺を載せた車を「輓くときの聯」という趣旨で、死者の霊前に捧げる対聯をいう)が掲げてあった。
百金嚢尽揚州死、 百金の嚢は尽きて揚州に死す、
万里魂帰蜀道難。 万里に魂は帰らんとするも蜀道は難し。
百枚も金貨の入っていた袋も空っぽになって、この揚州に死んでしまった。
万里のかなたに霊魂は帰ろうとするが、ふるさとの蜀への道は険しい。
これは四川(蜀)の李鼎元という人の棺であるということであった。鼎元は若くして文名があったが、揚州で遊蕩しているうちに
客死、貧無以斂。
客死して、貧にして以て斂(おさ)むる無し。
旅の境遇で死んでしまった。遺したお金も無く、誰もその死体を葬ってはくれなかったのである。
あるとき同じ郷里の出身だという僧侶がやってきて棺を拝んだ。
このとき、寺の住持が
「せっかく同郷の人であれば、何とかこの棺を郷里に持ち帰ってくれる人を探してはくれないか」
と持ちかけた。(古典チュウゴクでは火葬して遺体を傷つけることは御法度。他郷に埋葬するのも仮のことで、郷里(本貫の地)に戻って埋葬してやらなければならないとされていた)
僧侶は、
「自らの住処さえ持たぬわしにできるのは、これぐらいでござりますのう」
と言うて、冒頭の輓聯を書きつけて何処とも無く消えて行った、ということじゃ。
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誰もみないつかは逝くのだ。さて、我がために佳き輓聯を掲げてくれる者が誰かあろうか。
清・梁章鉅「楹聯叢話」巻十より。都合により明日は更新休みます。明後日? さあ・・・。