平成25年4月24日(水)  目次へ  前回に戻る

 

ついに台湾で鳥インフルの人への感染確認! 大陸政府は言葉を濁していますが、人・人感染が既にかなり拡がっているのでしょう。いよいよ来ますよー。マスクとか買いだめも始まる、と思うよー。

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さて、鳥の話題でございます。

・・・唐に成敬奇というひとがあった。

有俊才、文章立而可就。

俊才有り、文章たちどころに就(な)るべし。

すごい才能があり、文章などあっという間に作れた。

という優秀な人で、宰相の姚崇とも遠い姻戚に当たり、若きより大理正(最高裁判事、みたいな職)などを歴任していた。

あるとき、姚崇が病によって寝込んだことがあった。

それほど症状が重かったわけではないが、敬奇はわざわざ姚崇の家までやってきて、病室に入り、

対崇涕泣、懐中真生雀数枚、一一持出。請崇手執而後放之。

崇に対して涕泣し、懐中より真生の雀数枚、一々持ち出だす。崇に請うに手執して後にこれを放たんことを。

崇に向かってさめざめと涙を流して泣きながら、ふところの中から生きたままのスズメを数羽、一羽づつ取り出して崇の手に握らせた。そして、「どうぞ宰相さま、おんみずからの御手でこのスズメたちを解放してやりなさりませ」と勧めたのであった。

カシコい現代人のみなさまにはちょっとわかりにくいかも知れませんが、むかしは捕まえたイキモノを解放してやるという「善い行い」によって、「善い因」を積んで「善い果」を得ることができる、運命をよい方向に転換できる、という信仰(といいますか迷信レベル)があったのです。大規模に人を集めてその喜捨により大量のイキモノを解放してやる催しを「長生会」と言い、解放されたイキモノたちを「長生猪」(ブタ)、「長生亀」、「長生鳥」などと呼んだ。

「どうぞ宰相さま、スズメを放してやりなされ、その善果としてビョウキが治りましょう」

というわけだ。

迷信レベルですので、みんな深く信じているわけではない。病床の姚崇はスズメを手に握らされて困惑したが、敬奇はなおも涙を流しはなみずを啜りながら、

祝云願今公速癒。

祝して云う、「願わくば今、公速やかに癒えんことを」と。

「願わくば、あなたがいますぐにでも快癒なさらんことを」と祈りの言葉を唱え始めた。

崇、勉強従之。

崇、勉強してこれに従う。

崇は、無理に言われたとおりにした。

窗からスズメたちを外に飛ばしてやったのである。

「ああ、よかった、ようございました。これで必ず快癒なさいましょう」

涙を拭いながら敬奇は帰って行った。

敬奇が帰ってしまうと、崇は息子や家の若い者を集め、

此涙従何而来。自玆不復接遇。

この涙、何によりてか来たる。これよりまた接遇せざれ。

「あいつの涙は、いったいどこから出てきたのだ? 二度とあいつを家に入れるではないぞ」

ときつく命じたのであった。

すなわち、

悪其諛媚。

その諛媚を悪むなり。

彼のへつらい媚びる態度をよく思わなかったのである。

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唐・劉粛「大唐新語」巻九より(「太平廣記」巻二三九所収)。

ええ話やなあ。

明日・明後日とお東京にある件の申し開きに来い、と本社から命ぜられましたので、本社のみなさまに見事なる「へつらい・媚びる姿」をお見せいたしたく、行ってまいります。・・・彼らにへつらい・媚びてることがわかるかどうか、わかりませんが。ついでに全勝さんのところも表敬してくるかな。

ちなみに昨日、いまさらという気も致しますが三木清「人生論ノート」を読んだ。う〜ん・・・。三木清さんが知り合いで(かつ生きていたら)

すばらしいでございます! さいこー! 人生観変わったー!

とか申し上げに行ってきてもいいのですが、その必要もないので、まあ、「読み終えました」というところか。ちょっとがっかり・・・。

人生の智慧はすべて虚無に到らなければならぬ。 (「虚栄について」)

なんて、かっこいい言葉もあるんですけどね。

 

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