4月2日です。また今日からほんとのことばかり言って過ごさねばなりません。ところで、(弾圧の一環でしょうか)昨日は表紙のリンクがすべてはずれてしまい、新しいところから修復ははじめているのですが、まったく困ったことです。
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夢敗れて郷里に帰るという人を送別する宴が、漢江(はんがん)のほとりの楼閣で催された。
このとき、蘇亨震という士(ソンビ)の歌うて曰く、
煙波長笛下中流、 煙波 長笛 中流を下り、
三月帰舟遠客愁。 三月の帰舟、遠客愁う。
無限沙鷗与漁父、 無限の沙鷗と漁父と
一時離別漢江頭。 一時に離別す 漢江の頭(ほとり)。
春霞が波の上に立ちこめる中、誰かがいつまでも笛を吹き続けている。今しも川のまんなかあたりを
春三月に故郷に帰る人の乗る舟が行き、帰るあてなくなお旅にあるままのわたしを悲しませる。
数え切れないぐらい、さわいでいるカモメたちと漁師たち
それらすべてと別れて行くのだ、この漢江のみなものあたりで。
起句と承句は李太白の
「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之(ゆ)くを送る」中の
故人西辞黄鶴楼、 故人西のかた黄鶴楼を辞し、
煙花三月下揚州。 煙花の三月、揚州に下る。
わたしの友だちは、黄鶴楼から出発して、
春霞の三月、東の揚州に向かおうというのだ。
と、
「史郎中欽とともに黄鶴楼に笛を吹くを聴く」中の
黄鶴楼中吹玉笛、 黄鶴楼中 玉笛を吹く
江上五月落梅花。 江上五月 落梅花。
黄鶴楼の上で、誰かがうるわしの笛で吹く、
江のほとり、五月の(梅雨の)季節に「梅の実が落ちる(けれどあなたは帰らない)」の歌。
という、長江のほとりに立つ「黄鶴楼」に関わる二つの名吟を踏まえております。
今、彼らは漢江のほとりの楼台で別れの宴を催している。
古今の時間を貫き、江南と韓半島の地理的空間を飛び越えて、李太白とその豪壮の気分をともにしているのだ。
令人涌出豪気。
人をして豪気を涌出せしむ。
その場で聞いた人たちはみな、元気になった。
そうです。
さあ、みなさんは明日も元気でやってください。わしは・・・
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李朝の文人・権応仁の「松溪漫録」より。同書は李朝宣祖の十七年に成ったということですから、西暦だと1584年。ノブナガさまはまだ元気かな?ちなみに、蘇亨震というひとの伝記は、この詩を作ったこと以外、まったく知られていない。
ソウル城下を流れる漢江の美しさは幾多の詩人のうたうところでございますが、その流れはまたも共産主義者の軍靴と人民の血とで汚されるのでありましょうか。