平成24年12月27日(木)  目次へ  前回に戻る

 

昨日は肝冷斎の家でガス大爆発。彼奴は病院送りになりましたので、今日からはわたくし肝泥斎が更新いたします。

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肝冷斎への批判の一つに、「マイナーな引用が多く、有名セレブ古典からの引用が少ないので、朝礼などで使えない」というのがあります。そこでわたくし肝泥斎はその弊害を除去し、セレブ古典からの引用を主眼とすることを宣言いたします。

ということで、今日は「論語」さまから引用しましょう。

論語・雍也第六に言う(第21章)

子曰、中人以上、可以語上也。中人以下、不可以語上也。

これは難しい言葉ですね。どう解すればいいのか―――と思いながら、とりあえず加地伸行先生の「論語 増補版」の読み下しと「現代語訳」を引いてみます。

子曰く、中人以上は、以て上(かみ)を語(つ)ぐべきなり。中人以下は以て上を語ぐべからず。

老先生の教え。(人物を上・中・下に区分したとき)中級以上の者には、高度なことを教えることができる。しかし、中級以下の者には、高度なことを教えることはできない。

とありまして、ご丁寧?にも、(注)がついていて、

注1 「語(つ)ぐ」は、内容あることを相手にしかと通知すること。「語(かた)る」は、不特定な場合。

とだけ註釈があります。

なんだ、この訳は?

まったくわけがわからん。みなさんはわかりますか。

「以上」「以下」について、むかしのひとがどういう意味で使っていたのかとりあえずはっきりしませんが、加地先生の訳は「現代語訳」なので、先生の訳の中の「以上」「以下」は「以て上」「以て下」というわれわれが学校で習った意味のはず。すなわち、「A以上」「A以下」というときには「A」が含まれるはずです。加地先生は「中級」の人について、「高度なこと」を教えることができる、と考えているのか、できないと考えているのか。この訳文ではわけがわかりません。

「肝泥斎よ、何を細かいことを言っているのか」

「二畳庵主人・加地伸行大先生のおっしゃること、かならず何かの深い意味があるはずなのだ。滅多なことを言うでないぞ」

とみなさん思うかも知れませんが、実は「中人」に「上」を語るのか語らないのか、ということは、古来の論語註釈上の大問題の一つなのでして、今肝泥斎が言い出したことではまったくないのであります。加地先生がそのこと知らないわけがないので、なんか一言注2でもつけて触れておいてくれるべきではないかと思うのですが、講談社学術文庫を読むレベルのひとには教えない方がいいや、という事情があったのでしょう。

わはははー。

加地先生も世界の片隅でわしのような下衆にこんなこと言われているとは想像もいたしておりますまい。ひとの知らないところでひとの陰口を言う。なんと快いことではありませんか。いやー極楽極楽。

さて、古来の議論をおさらいしますと、まず

@  三国時代の魏の王粛の「論語注」の解釈

上、謂上智之所知也。両挙中人、以其可上可下也。

「上」は上智の知れるところを謂うなり。中人を両挙するは、その上すべく、下すべきを以てなり。

ここでいう「上」というのは、上等の智慧を持つ人が理解していることを言っている。中人がどちらにも出てくるのは、上にもいけるし下にもいけるからである。

そうですか。まあ、一応の答えにはなっていますね。

A  唐の皇侃「論語疏」の説。

此謂為教化法也。

これは教化を為すの法を謂うなり。

ここで論じられているのは、教育法なんです。

就人之品識大判有三、謂上中下也。細而分之則有九也。

人の品識に就き大判すれば三有り、謂うに上・中・下なり。細かにこれを分かてば九有るなり。

人の理解力についておおまかに分けると「上・中・下」の三つに分けられるが、これを細かに分けると九分類できるのである。

すなわち、1上上、2上中、3上下、4中上、5中中、6中下、7下上、8下中、9下下なんだそうです。このひとたちのうち上上は聖人なので教育する必要が無く、下下は愚人なので教えるすべがない。間の七段階の人たちは教育の方法がある。それは、すなわち、すぐ上の段階の人のやりかたを真似させる、という方法である。としますと、2〜5の人にはそれより上である1〜4の人たちのやりかたを教えることになる。6〜8の人にはそれより上である5〜7の人たちのやりかたを教えることになる。5は真ん中なので「上」「下」どちらにも割り振れますが、仮に「5の人」は「上」、「5の人のやり方」は「下」に割り振ると、

斯則中人以上可以語上、中人以下可以語下也。

これすなわち、中人以上は以て「上」を語るべく、中人以下は以て「下」を語るべし、となり。

これでつまり、中人以上(2〜5の人)には「上のやり方」(1〜4の人のやり方)を教えるべきであり、中人以下(6〜8の人)には「下のやり方」(5〜7の人のやり方)を教えるべきである、ということになる。

のである。

よくわかりまちたー。「可」(べし)が「当為」に読まれている点も注意ですね。

B  宋の朱晦庵(朱子)が整理した「論語集注」の考え方。

朱晦庵先生は(要するにこれが加地先生の考え方なんですが)、「中人」が二回出てくることを細かく吟味する必要はない、という考え方に立ちます。「論語」についてそんな細かい議論をしてはいけない。そうではなくここでは、

教人者当随其高下而告語之、則其言易入而無躐等之弊也。

人を教うる者はまさにその高下に随いてこれに告語すれば、すなわちその言入りやすくして等を躐(こ)ゆるの弊無きなり。

他人にものを教える立場の人は、相手のレベルの高い低いに応じてものを教えていくべきである。そうすれば、相手に理解されやすいし、足元も固まっていないのに上のレベルのことを学ばせることによる弊害(不安定、逆戻り、天狗になるなど)にも陥らせないことができる。

ということを孔子が言っているのだ、とだけ理解すればいいのである。

さすがに古代の聖賢のことばを「自分たちに切なる問題、身近な思考材料」(「切問近思」)として取り扱おうとした宋儒の面目躍如たるものがあります。

C  宋末の黄東発先生の「論語後案」の考え方

東発先生は朱子の流れを汲む人ですが、Bの解にあきたらず、「以上」「以下」をもっと切実に読むべきだ、というのである。すなわち、

以上之上、時掌反。

「以上」の「上」は「時」「掌」の反なり。

「以上」の方の「上」の字は「じ・よう」と発音する。

何が言いたいかと言いますと、この「上」は「うえ」という指示代名詞ではなく、「上ぼる」という動詞なのだ、というのである。あわせて「以下」の「下」も「下る」という動詞だという。

その説に従がって読めば、

中人以上、可以語上也。中人以下、不可以語上也。

中人の以て上がらんとするは、以て上を語るべきなり。中人の以て下らんとするは、以て上を語るべからず。

中等のやつの向上心のあるやつには、上等のことを教えてやることができる。しかし、中等のやつの落後していくやつには、上等のことを教えてやるのは無理だ。

となるのである。(→これ、結果的に@と同じになる。)

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「可」を可能で読むか当為で読むかによっていろんな解釈がまだ増えるみたいですが、もう以下略ですわ。下衆の肝泥斎にも明日もしごとあるんでやんす。

ということで、上記の「雍也篇」の二十一章は短いけど、教育法、ニンゲン論につながる大問題をはらんでいたのですねー。加地先生は文庫本読むようなやつらには教えてもしようがない、あいつら○日新聞や○日新聞や○日新聞などを購読しているレベルなんだからな、わははははー。ぐらいに思っているのかもよ。

 

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