平成24年11月10日(土)  目次へ  前回に戻る

 

昼間、宜野湾の古書店で「琉球国由来記」をタイマイはたいて買ってきた。タイマイは惜しい。どうせ読まない。しかしほかのやつらに読まれるぐらいなら、わしのところで死蔵してやるのじゃ。ひっひっひっひ・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

紀元前三世紀末から紀元前後の中断を除いてほぼ四百年にわたる前漢・後漢の時代、

書必写録、無栞本。

書必ず写録し、栞本無し。

書物というのは写本で伝わるもので、刊行されているものなど無かった。

故に、書物を読むというのは、それを手にするためにたいへんな努力を要するものだったのである。

ところが、そのような時代でも

亦有書肆。

また書肆あり。

やっぱり本屋というものはあったのだ。

「ほんとですか?」

「ほんとうである。「後漢書」をひもとくに、前漢の王充は

家貧、無書。常遊洛陽市肆、閲所売書。

家貧しく、書無し。常に洛陽の市肆に遊び、売る所の書を閲す。

家が貧乏で書物のたくわえが無かった。そこで、いつも洛陽の市場通りに行き、売られている書物に目を通すのであった。

立ち読みが出来たのである。

王充は(わしらとは違いまして)

一見輙能誦憶、遂博通衆流百家之言。

一見すなわちよく誦憶し、遂に衆流百家の言に博通す。

一度見ただけですぐに記憶して読み上げることができた。(立ち読みだけで)ついにもろもろの分野の多数の学派の学説に広く通ずる大学者となったのであった。

これは我が国の明恵上人をはじめ歴史上多く実例のある「写真的記憶」という能力ですね。

これで偉くなったわけだが、立ち読みができなければその能力も発揮できなかったのである。

また、後漢の劉梁は

宗室子孫、而少孤貧。

宗室の子孫なれども少(わか)くして孤にして貧なり。

漢の皇室である劉氏の一派であったが、少年時代に親を亡くし、貧乏におちいった。

彼の場合は逆に家に読みもしない写本の書物だけはあったので、

売書於市以自資。

市において書を売りて以て自資す。

市場通りで本屋を開いて書物を売り、生活費に充てていた。

という。

書物を保有していれば格差社会の勝者になれるということである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

清・周寿昌「思益堂日札」巻二より。もっともっとがんばって書物を保有するぞー!

ちなみに今日は瀬底島にいます。宿の主人に「この島はコワいところ、入ってはいけない区域とか無いですか、無いですよね」と訊いたら、しばらく黙っていて「あ、無いです、無いですよ〜」と取ってつけたように答えてくれました。だからコワくない島だと思うんだけど、夜に入って風が強く、灯りとかが無いので暗いことこの上ない。

 

表紙へ  次へ