今日は比較的何にも考えないで過ごせた一日だった。夜になって、ふと明日が月曜日だったことを思い出しました。まあ、すでに隠逸している身ゆえ、月曜日だからといって困るわけではないのですがな。
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蒲生氏郷が会津等八十万石を賜ったとき、秀吉の前を退出してきて、柱によりかかって涙ぐんでいたそうである。
その側近の山崎某というものがその側に寄り、
かたじけなく思はれんこと、もっともなり。
ありがたいことでございますなあ。そのお気持ち、ようわかりますぞ。
と声をかけた。
氏郷、山崎の方を向き直り、小声にて
「誤解するでないぞ。
吾都近き所にて小さき国一つ賜はらば、つひに天下に旗を揚げなんに、辺鄙に棄てられたれば何事か仕出すべき。志の空しくなりたるによりておぼえず涙の流るるよ。
わしは都近いところに小国を一ついただければ、そこを根拠に天下に一旗揚げられる、と思っておったが、会津のような辺境の地に放り出されてしまったのでは、なにごとも仕出かすことはできまいぞ。希望がついえたので、つい涙を流してしまったのじゃ」
とお語りになられたのだそうでございます。
蒲生氏郷の大志ありましたこと、かくのごときと言い伝う。
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と、湯浅常山「常山紀談」巻九に書いてあったので紹介してみました。
このひとは、どうしてそんな疲れることがしたくてしようがなかったんでしょうね。早く隠逸してしまえばいいのに。早く隠逸しないと早死にするよー。