平成24年3月29日(木)  目次へ  前回に戻る

 

もうすぐ週末・・・。

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唐・玄宗皇帝。

宮中の中庭に桃の花咲きにおう時節。

楊貴妃とともに名木「千葉桃」の下にたたずんで、曰く、

不独萱草忘憂、此花亦能銷恨。

ひとり萱草の憂いを忘れしむるのみならず、この花またよく恨みを銷(け)す。

―――「萱草」(かんそう)は「諼草」とも書き、「詩経」の衛風に出る語である。朱子の「詩集伝」に、この草に注して、

食之、令人忘憂。

これを食らわば、人をして憂いを忘れしむ。

この草を食うと、そのひとは悲しみを忘れることができる。

という。

これは便利な草である。和名は何というかといいますと、「倭名抄」に

一名忘憂、和須礼久佐。

一名を「忘憂」ともいい、和名は「わすれくさ」。

とあった。

また「今昔物語」(31−27)に、

萱草ト云フ草コソ、ソレヲ見ル人、思ヒヲバ忘ルナレ、然レバ彼ノ萱草ヲ墓ノ辺ニ植ヱテ見ント思ヒテ植ヱテケリ。

わすれぐさという草は、それを見る人は過去の記憶を忘れるという。ならばこの草をあのひとの墓のほとりに植えて、あのひとの思い出を忘れてしまおうではないか、と思って、植えたのであった。・・・・

という伝説が遺されている。(中国では「食うと忘れる」ようだが、日本では「見るだけで忘れる」らしい。)

―――玄宗皇帝の言葉はこうである。

「わすれぐさ」は悲しみを忘れさせてくれるというが、この花もまた、この尽きることない人の世の悲しみを忘れさせてくれるのう。

そうして二人肩を寄せ合うて目を閉じた。二人、この世も果てるまでの、長い長い夢をみようとしたのであろう・・・。

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「開元天宝遺事」巻上より。わしもこの草の力でウツを乗り越えたい・・・。

さて、花の季節になってまいりました。・・・はずですが、相変わらず寒いですね。

 

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