もうすぐ週末・・・。
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唐・玄宗皇帝。
宮中の中庭に桃の花咲きにおう時節。
楊貴妃とともに名木「千葉桃」の下にたたずんで、曰く、
不独萱草忘憂、此花亦能銷恨。
ひとり萱草の憂いを忘れしむるのみならず、この花またよく恨みを銷(け)す。
―――「萱草」(かんそう)は「諼草」とも書き、「詩経」の衛風に出る語である。朱子の「詩集伝」に、この草に注して、
食之、令人忘憂。
これを食らわば、人をして憂いを忘れしむ。
この草を食うと、そのひとは悲しみを忘れることができる。
という。
これは便利な草である。和名は何というかといいますと、「倭名抄」に
一名忘憂、和須礼久佐。
一名を「忘憂」ともいい、和名は「わすれくさ」。
とあった。
また「今昔物語」(31−27)に、
萱草ト云フ草コソ、ソレヲ見ル人、思ヒヲバ忘ルナレ、然レバ彼ノ萱草ヲ墓ノ辺ニ植ヱテ見ント思ヒテ植ヱテケリ。
わすれぐさという草は、それを見る人は過去の記憶を忘れるという。ならばこの草をあのひとの墓のほとりに植えて、あのひとの思い出を忘れてしまおうではないか、と思って、植えたのであった。・・・・
という伝説が遺されている。(中国では「食うと忘れる」ようだが、日本では「見るだけで忘れる」らしい。)
―――玄宗皇帝の言葉はこうである。
「わすれぐさ」は悲しみを忘れさせてくれるというが、この花もまた、この尽きることない人の世の悲しみを忘れさせてくれるのう。
そうして二人肩を寄せ合うて目を閉じた。二人、この世も果てるまでの、長い長い夢をみようとしたのであろう・・・。
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「開元天宝遺事」巻上より。わしもこの草の力でウツを乗り越えたい・・・。
さて、花の季節になってまいりました。・・・はずですが、相変わらず寒いですね。