董仲舒さまのお答え(平成24年3月27日) 目次へ
@ につきまして。
殺人者・乙を匿った甲は何等かの罪に問われるべきか。
答)否。
甲無子、振活養乙。雖非己出、春秋之義、父為子隠、子為父隠。甲宜匿乙。
甲に子無く、振活して乙を養う。己れの出にあらずといえども、「春秋」の義は、「父は子のために隠し、子は父のために隠す」なり。甲よろしく乙を匿うべし。
甲には子供が無くて、死ぬ運命であった乙を努めて養ったのである。たとえ血はつながっていないとしても、父子である。
さて、「春秋」に顕われている正しい人間の在り方には、
「父は子の罪を隠ぺいし、子は父の罪を隠ぺいするのが当たり前である。」
という命題があるのである。
よって、甲が乙をかくまったのは適法。
A につきまして。
丙に育てられた乙が実の父・甲を杖でぶん殴っていいのか。
答)可。
甲生乙、不能長育。以乞丙、於義已絶矣。雖杖甲、不応坐。
甲は乙を生ずるも長育するあたわず。丙に乞うを以て、義においてすでに絶せり。甲を杖すといえども応坐せず。
甲は乙の父であるとして、育てることができず、丙に頼んで育ててもらったのである。この時点で、正しい人間の在り方として親子関係は断絶したと考えられるのじゃ。
よって、甲をぶん殴ったとしても罪に当たることはないのじゃ。
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ああ。
其与奪不亦明乎。
その与奪また明らかならざるか。
どういうことが許され、どういうことが許されないか、なんとも明確ではないかね。
董仲舒さまは、このように、「春秋の義」を以て朝廷でも扱いかねた疑獄を断ずること、実に、
二百三十二事。
二百三十二事なり。
232件にも及んだのである。
いやはや
世亦罕聞。
世にまたまれに聞くところなり。
史上、滅多にないことではなかろうか。
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以上、宋・王勉夫「野客叢書」巻一より。宋代以降のリゴリスティックな「儒教精神」からはなかなか想像できないことですが、漢代のチュウゴクでは親族関係がこれぐらい緩やかに考えられていた、ということである。
・・・まずい、調子に乗って訳しているうちにまたすごい時間に・・・。明日遅刻すると杖二十ぐらい食らうかも。