もうあきあきしてきた。そろそろ辞世がいるかも?
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倭文(しづ)は、江戸京橋弓町伊勢屋平右衛門のむすめである。幼いころから賀茂真淵を師として和学を学び、和歌と文章にたくみであった。
しかるに宝暦二年七月、卒す。行年いまだ二十。深川本誓寺に葬る。
彼女の辞世の歌である。万葉仮名というやつですが、この歌は意外と読みやすいので讀んでみてください。
比登乃与爾左幾太都古登乃奈加里世婆伎里乃比登播毛千羅受也安羅摩思
(通釈)この世の中に人より先に行く(親などに先立つ)ということが無いならば、(初秋に最初に散って秋が来たのを知らせるといわれる)桐の一枚目の葉も散らずに残っておりますでしょうなあ。
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戀川春町は倉橋氏、名は格、狂歌をよくし、狂歌名を酒上不埒(さけのうえのふらち)という。武士である。寛政元年七月卒す。行年四十六。四谷新宿浄覚寺に葬らる。
辞世の詩あり。
生涯苦楽 生涯の苦楽、
四十六年 四十六年。
即今脱却 即今脱却し
浩然帰天 浩然として天に帰す。
(通釈)生涯の苦労と快楽を重ねて四十六年である。すなわち今こそこれを脱出して、ひろびろとした心で天に帰るのである。
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中尾樗軒「讀老庵日札」(三田村鳶魚編「鼠璞十種」所収)より。辞世にも厭きてきたかも。