平成24年2月23日(木)  目次へ  前回に戻る

 

本日は晩飯を食うにアルコール入っていい気になっていろいろ噴いてきた。

帰ってきました。だんだん酔いが醒めて、また落ち込んできた。あかん。眠いし、昨日あたりから呼吸が苦しいんです。そろそろ辞世がいるかも?

・・・・・・・・・・・・・・・・・

半時庵淡々というひとがおりました。もと江戸の生まれ、長く京都にあり、俳諧を以て名高く、一時多くの門弟あり。

後に浪速に居を移すも、生涯京都の水を取り寄せて飲み続け、あえて浪速の水を飲まなかった。

其驕恣此等にて知るべし。

そのわがまま勝手であったこと、これだけでもご理解いただけよう。

その後、心斎橋筋飾屋町木村氏方の座敷にて病も無く没す。宝暦十一年(1761)十二月、行年八十八。

辞世の句あり。

あさ霜や杖でゑがきし不二の山

此句、存世の時、我が辞世たりとて書きをかれしが、果たして霜月二日に終わりぬ。

この句は半時庵がまだ元気なころに「わしの辞世の句じゃよ」というて書き置いたものである。(句中の「霜」と「二」が暗示していたように)確かに、霜月二日に亡くなったのであった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

中尾樗軒「讀老庵日札」(三田村鳶魚編「鼠璞十種」所収)より。樗軒は本郷の質屋・伊勢屋の跡取りであったが家を出て書肆・越中屋に居候し、古書の鑑定を世過ぎとした。文政四年(1821)に六十余歳で卒したという。

「十二月」は霜月ではなくて師走ではないか、と突っ込みたくなりますが、「十二月」という方が間違いなのかも知れません。

辞世の句としては、「霜」や「二」の字面ではなく、

朝霜の上に書いた画のようにはかなく消えゆく人生。

しかし、そのはかなさと裏腹の、富士の嶺のような気高い生き方への誇り。

を味わうべきなのでしょうなあ。

 

表紙へ  次へ