本日は雪もチラつく寒い夜ですが、なにより週末。心のどかである。
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ちなみに今日は、以前のしごと仲間と一緒に、テレビにも出ているすごくエライひととの宴席の末席に連なる栄を得た。
宴席では
「このさかづきを受けてくれ
どうぞなみなみつがせておくれ」
と言われましたので、
「はなにあらしのたとへもあるぞ
「さよなら」だけが人生だ」
とお答えしたのでございます。
この井伏鱒二先生の名訳で知られる「勧酒」(酒を勧む)の詩、
勧君金屈巵、 君に勧む、金屈巵(きんくっし)
満酌不須辞。 満酌 辞するをもちいざれ。
花発多風雨、 花発(ひら)いて風雨多し、
人生足別離。 人生別離に足る。
「金屈巵」とは、黄金製の、曲がったさかずき。ちなみに「巵」は「四升を容れる杯」という。「四升」というとかなりすごい量のように聞こえますが、ゲンダイの我が国の容量に換算すると「3〜4合」だそうなので、500〜600ccである。これなら何とかなるかも。なお、井伏先生もさすがにその大きさまで訳しきれず、「このさかづき」とふつうの杯みたいな訳になっております。(ちなみに、「巵言」(しげん)というのは、さかずきの酒の如くに味わいある言葉のこと。荘子・寓言篇に出る。)
あなたに勧める黄金の杯
縁までいっぱいになったがいやがるでないぞ。
花がひらくとあらしが多い、
われらの生も(佳きときに必ず伴うて)別れは十分にある。
ということでございます。
拙訳と比べると、井伏先生の訳のすばらしさが分かりましょうほどに。
「唐詩選」巻六に出るこの詩、作者は晩唐の于武陵である。
于武陵の武陵は字で、名は鄴、杜曲の人。大中年間(847〜860)進士に挙げられるも官にあること意にかなわず、
携書与琴、往来商洛巴蜀間。
書と琴を携えて、商洛・巴蜀の間を往来す。
お気に入りの書物と琴だけを荷うて、河南の伊水・洛陽のあたりから、四川の巴州・蜀國まであちらこちらと旅をした。
生活に困ると街中で占いを業としたが、金銭が足りれば繁華の地を避けて暮らし、
語不及栄貴、少与時輩交遊。
語は栄貴に及ばず、時輩と交遊すること少なし。
栄華や高貴を羨むことばを口にせず、時流に乗ったやつらとはほとんど付き合わなかった。
南の方、湖南にも遊び、その水多く風致に富み、湖畔によきかおりの草の多いのを気に入り、「衆人酔うといえども、われ独り醒めたり」と謳うた古代の詩人・屈原を偲んでここに住み着こうとしたが果たさなかった。
詩多五言、興趣飄逸多感。
詩には五言多く、興趣飄逸にして多感なり。
彼は五言詩が得意で、そのおもむきは飄逸だが感慨深いものがある。
というひとである。
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と、元・辛文房の「唐才子伝」に書いてあった。
于武陵の作品で人口に膾炙しているものとしては、ほかに「友人南游不還」(友人、南に遊びてかえらず)(「三体詞」巻三所収)があります。
相思春樹緑、 相思うに春樹緑にして、
千里各依依。 千里におのおの依依たり。
鄠杜月頻満、 鄠(こ)杜(と)に月頻りに満つるに、
瀟湘人未帰。 瀟(しょう)湘(しょう)より人いまだ帰らず。
桂華風半落、 桂華は風に半ば落ち、
煙草蝶双飛。 煙草には蝶双(なら)び飛ぶ。
一別無消息。 一別より消息無し。
水南蹤跡稀。 水南に蹤跡(しょうせき)稀ならん。
こちらには井伏先生の名訳がないので、肝冷斎の訳でがまんしなされい。
春の樹が緑濃くなる日々に、あなたを思うておりまする、
千里のはてにあなたとわたしはそれぞれひとりぼっちじゃわいな。
わたしの住む鄠杜(こと)の地では、何度も何度も満月になったが、
いつまでたってもあなたは瀟水・湘水の流れる楚の地から帰ってこぬ。
秋(の満月の時)には桂の花が、風に半ば落ちたぞえ。
春(の満月の時)にはかすみ草につがいの蝶が止まっていたぞえ。
おわかれしてより手紙も無いのは、(わたしを忘れたからではなくて)
湖南の地方にゃ往来するひとも少ないからじゃろう。
よし。自分的には意外とうまくできた。明日はよい日になる予兆かも。