平成23年12月7日(水)  目次へ  前回に戻る

 

まだ水曜日ですわー。

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後漢に陳忠という法官がおりました。

後漢の刑法は厳しく、ささいなことで罪に問われることが多かったそうで、陳忠は後漢・安帝(在位107〜125)の初年に上奏して刑を緩くせんこと、特に宮刑の多用に反対することを訴えたひとであります。

彼の言として今に伝わる語がありまする。

穿窬不禁、則致疆盗。

穿窬(センユ)禁ぜざれば、すなわち疆盗(きょうとう)を致す。

穴をあけて入り込む空き巣狙いを取り締まらなければ、やがては強盗になってしまいますぞ。

疆盗不断、則為攻盗。

疆盗断ぜざれば、すなわち攻盗と為る。

強盗を捕らえてきちんと処断しなければ、やがては火つけ押し込みの強盗団をなしますぞ。

攻盗成群、必生大姦。

攻盗群れを成さば、必ずや大姦を生じん。

強盗団がいくつも集まれば、いつか国家にとってたいへんな敵となりましょう。

さすればわれらごとき司法官には、もうどうすることもできませぬ―――と。

陳忠のような寛刑論者でも取り締まりと刑の執行には、果断を要することを主張していたのである。

ひるがえって今のニッポンの行刑はなんたらかんたら・・・・

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「後漢書」巻76・陳忠伝より。陳忠はおやじが陳寵といいまして、こちらも有名な司法官であった。さらにそのおやじは陳咸といい、前漢末に律令の知識を以て尚書の地位にあった、ということですから、世襲の法律家であった。

この陳咸、王莽が漢帝国を簒奪する過程で、おのれに付き従おうとしないものを刑に問おうとするのを見ても、反対はしなかった。

しなかったが、

易称君子見幾而作、不俟終日。吾可以逝矣。

易に称す、「君子は幾を見て作(おこ)り、日を終うるを俟たず」と。吾、以て逝くべきなり。

易の「繫辞伝」には、

「君子は「きざし」を見て行動する。「きざし」を見たら、その日が暮れるのを待ってはいない(その日のうちに行動に移すのだ)」

と言われてある。わしはそろそろおいとませねばなるまい。

と言いまして、官を辞して郷里に帰ってしまったのであった。(「後漢書」同巻

わしもこんな感じで行きたい、と思っておるんですわ。

そして、「きざし」はもはや有り余るほどあるんですわ。

 

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