平成23年12月3日(土)  目次へ  前回に戻る

 

昨夜は某地でST氏とシースーを食うた。寒かった。ST氏の影響で、少しはマジメになろうと思います。勉強になりました。しかし、シースーは食い過ぎた・・・。

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ハラが苦しい。消化できません。どうすればいいのだ。

如人之善飲食者、

ひとの、善く飲食する者の如きは、

よく飲み食いするやつは、

次のようなものをどんどん食べる。

殽(コウ) いわゆる「肴」。さかな、おかず。穀物以外の食べ物(特に骨付き肉を言うこともある)。

蔌(ソク) 菜。野菜類の食べ物。

脯(ホ) 干し肉。

醢(カイ) しおから。

酒茗菓物  さけ、茶、くだもの。

ただし、

雖是食尽、須得其化。

これ食い尽くすといえども、すべからくその化を得べし。

食べ尽くしたとしても、そのあと、それらを消化しなければならないのである。

そうでないと「よく食うやつ」とは言えない。

消化しますと、

則清者為脂膏、人只見肥美而已。

すなわち清なるものは脂膏となり、ひとただ肥美と見るのみ。

その中で上質の部分が脂肪となって体に残り、そこではじめて他人が見て「おお、このひとは太った美しいひとだ」と感じるのである。

肥満は、むかしは美しかったのです。(涙)

ところが、もし消化できないと、

少間吐出、物物倶在。

少間にして吐出し、物々ともにあり。

しばらくして吐きだしてしまうしかない。そして、吐瀉物の中には、食べたものが消化されていないからはっきりと残っているのである。

ああ、

為文亦然。

文を為すもまたしかり。

文章を書くのもまた同じではないか。

古人の文章をよく消化せずに形だけ真似て取り入れていると、その真似た部分がはっきりと残って、異物であることが明らかになるのだ。

文章だけの問題ではないように思われる。すべてのことにおいて、そうであるように思う。

なお、これを

食古不化。(いにしえを食らえども化せず。)

保存肉を食べても(=むかしのことを勉強しても)、消化しきれない。

と申しますので覚えておきましょー。おぼえておいて得なことは特にないでしょーけど・・・。

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「西軒客談」(この書、西軒子(宋の陳昭度)の撰なるか)より。しかし、まずは真似してみないことにはしかたあるまい。・・・・と肝冷斎ちゃんは思ったりしまちゅ。

・・・某地で、ふれあい歴史館、県立歴史資料館、古関裕而記念館、岩谷観音を調査。

古関が作曲家となったのは、二十歳で福島でニートしていたとき、「組曲:竹取物語」をイギリスに送って、かの地での審査会で二等に選ばれ、コロンビアより専属作曲家の声がかかったのである、ということを知った。作曲は独学であったということであるから、逆輸入型で世に出たのでちゅね。御存じのように大正〜昭和初の「新民謡」、さらにその派生形としての「御当地ソング」を研究テーマの一とする初代・肝冷斎には、「新民謡」の担い手の一人である古関の記念館は、たいへん勉強になったことでございましょう。

なお、戦時下歌謡の白眉、といわれる「元気で行かうよ」(昭和15年、作詩・西条八十)のフルコーラスを同記念館の視聴コーナーではじめて聴いた。

肩を組み組み 口笛吹けば

足も揃うよ 気も揃う

元気で行かうよ 人生は

いつも船出だ 出発だ

あたりは何の問題もありませんが、四番まで来ますと、

花の維新も ○○○の勝利(かち)も

若い力があればこそ

元気で行かうよ 日の丸の

旗で世界を埋めるまで

の○○○、カタカナ三文字が入りますが、何が入ると思いますか?

 

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