平成23年10月18日(火)  目次へ  前回に戻る

 

本日、ホークスはバファローズに最多勝を狙うホールトンをぶつけ、ハムはライオンズにダルビッシュ回避。上位常連組のホークス、ハム、ライオンズで何等かの「ゴジョ会」システムでもあるのかと疑ってしまいます。・・・しまいませんか。・・・そうですか。

それでは、みなさんはがんばってください。おいらは今週あと三日も出勤するの無理。世間様にはもうついていけません。

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世間様についていけなくなったついでに、イヤがらせしてやるぜ。

今日は超絶レア四字熟語を紹介し、「こんなの漢検に出たらどうしよう・・・」と思わせて苦しめてやるぜ。へっへっへ。

「六郎嬌面」

みなさん、この四字熟語の意味わかりますか。次のア〜ウの中から選んでみてください。珍しく?正解が入っております。

ア) 漢の名将・張六郎の故事から、出陣前の武将の威武に満ちた顔つきをいうたとえ。

イ) 唐の官僚・張六郎の故事から、蓮の花のように美しいかんばせを褒めたたえるたとえ。

ウ) 宋の張氏の六人兄弟の故事から、兄弟が毎日顔を合わせて仲良く暮らすことのたとえ。

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はい。わかりましたよね。漢検受けるぐらいのひとですからね、これぐらいおわかりでしょう。ひひひ。

答え合わせの代わりに用例を見てみまちょー。

元・張可久「落梅風・歌姫張氏睡起」(「歌姫の張女史が眠りより起きる」―「梅の花を散らす風」の節で歌え)にいう、

瑤池上、翠檻辺、笑当時六郎嬌面。

瑤池の上、翠檻の辺、当時の六郎嬌面に笑まん。

仙界にある瑤池(ようち)の湖のほとり、みどりのおばしまのあたりに。

おまえはそのかみの六郎の清げな顔にも似て、蓮の花のようにけだるく笑うているのだ。

―――ということで、正解は(イ)でちたねー。

「六郎」というは、唐の則天武后(すなわち周の武則天)の寵臣・張昌宗のことである。

張昌宗は寵臣がたいていそうでありますようにやがて主君に厭きられて棄てられるのですが、その全盛のころ、宮中のひとびとは彼のことを競って褒めそやし、それによって武后の歓心を買おうとした。

則天武后ほど怜悧な権力者にとっては、寵臣の資質そのものよりも、寵臣をひとびとがどれほど褒めそやすかによって間接的に君主の権威を確認できること、にこそ寵臣の価値があるのかも知れない。

そんな中で、楊再思は、張昌宗のすがたをどこかで見かけるたびに人に聞こえるように、

人言六郎似蓮華。非也。

人は六郎を蓮華に似るという。非なり。

「みなさん、張六郎さんを蓮の花のようだとおっしゃるが・・・、そんなことはないと思いますがのう・・・」

と言うていた。

武后、これを人づてに聞き、あるとき、楊再思に、

「おまえは、六郎を美しいと思わないのかえ?」

と問うた。

すると、再思、「おお」と首を振りながら答えた。

「わが君、なんということをおっしゃる。それは、わたしの言葉を取り次いだ者の誤解か、さもなくば悪意による捻じ曲げでございます。わたしが申し上げたいのは、

正謂蓮華似六郎耳。

正に謂うのみ、蓮華の六郎に似たり、と。

「蓮の花の方が、六郎さまに似て美しい」と言えば、より真実に近かろう。

ということなのでございます」

それを聞いて、既に老境にあった武后、

「おほほほほ」

と珍しく甲高い声でお笑いになり、

「再思は美しいものを理解するひとですね」

とお褒めの言葉を賜ったのであった。

―――後世の史家、楊再思を評して曰く、

其巧諛無恥類如此。

その諛に巧みにして恥じ無きこと、かくの如きに類す。

彼のへつらいにたくみにして、恥じらいなきこと、このようであった。

と。

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「新唐書」巻109・楊再思伝より。

むかしのひとは出世するためにこんなに努力していたのですなあ。張昌宗の容姿も無く、楊再思ほどには無恥でない、のに、現世でどうやって立身出世できようか。しかり、帰るに如かず。

 

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