平成23年10月12日(水) 目次へ 前回に戻る
どうもーす。来週から転勤して石垣島で暮らすことになりました。長い間ありがとー。
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宋の時代、呉門の東禅寺に遇賢という僧侶がいたそうなんですわ。「いたそうなんです」と伝聞形でいうのは、今の時代は清の時代ですから、わたしがそのひとを直接見たわけではなくて、今となっては伝説となって言い伝えられているだけです、ということなんですわ。
この僧、
好酒、喜食鴿。
酒を好み、鴿(コウ)を食らうを喜ぶ。
飲酒を好み、また生臭なことにハトを食べるのが好きであった。
飲酒戒のみならず殺生戒まで犯していたというのである。
そのことを聞いて憤ったひとが
「怪しからん」
と抗議に来た。
すると、遇賢は
「まことに申し訳ございません。すぐに元通りにいたします」
と言う。
「元通りに?」
遇賢、口を開くと、
鴿仍従喉吐出、飛集梁間。
鴿よりて喉より吐き出だされ、飛びて梁間に集まれり。
ハトが何羽も、のどの中から吐き出されてきた。そして、そのハトたちは、飛び上がってお寺の棟木の上に集った。
ということである。
遇賢は、出家前の姓をとって林酒仙ともよばれ、ほかにも多くの霊験を示したといい、現在、東禅寺には彼の塑像が祀られている。
さて―――。
乾隆四十九年(1784)春のことである。
呉門の川べりでエビ漁を営む漁民のところへ、一人の僧が尋ねてきて、銭十枚を代価に一鉢のエビを買った。
「お坊さま、殺生戒を破ってエビをお食べになるのでございますか?」
とおそるおそる訊くと、僧は
「そうじゃ」
とこともなげに応え、なんとその場で生のままエビを一鉢まるごと飲み干してしまったのである。
「おお、なまんだぶ!」
漁民は思わず手を合わせたが、僧は「かかか」と大笑いし、ふらふら、と川べりに向かうと、
悉吐於河、蝦皆紅色、跳躍而去。
ことごとく河に吐けば、蝦はみな紅色にして跳躍して去りぬ。
川の中にエビをまるごと吐き出した。エビはすべてきれいな紅色に戻っており、ぴょんぴょんと元気に飛び跳ねながら水中に消えて行った。
「おお、なまんだぶ!」
漁民が驚いているうちに僧の姿はかき消すように見えなくなっていたという。
漁民、手もとに残った十枚の銭をよくよく見るに、
皆太平通宝。
みな太平通宝なり。
すべて宋代の貨幣であった「太平通宝」であった。
これが骨董屋に高く売れた。
漁民はそのお金で家族を連れて東禅寺にお参りに来たが、そこでまた、
「おお、なまんだぶ!」
と驚いて手を合わせた。
なんと、エビを買いにいた僧は、林酒仙の塑像とそっくりだったからである。
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ああ、ありがたいありがたい。なまんだぶなまんだぶ。「履園叢話」巻十四より。
本当に石垣島に行けたら、ほんとにありがたくて手を合わせるところですが、このたび石垣島に行きましたのは知り合いのHさんでした。おいらはまだこの温帯でしごとばっちりしなければならないという(しないけどね)。がっかりでちたねー!絶望してジ○ツでもするかー。