頭痛で今日は更新不能。和文で何とかごまかす。
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不識庵・謙信の重用していた小森沢某が出奔した。ひとびと、
「お館様もお目利き違いな・・・」
と噂し合った。
それより三年後、謙信が上野・新田に出陣したときのこと。謙信が戦いの前にいつもそうするように、軽輩にいでたちにて近習数騎を引き連れて本隊より先に斥候に出ると、六・七町先から走り来る者がある。
見ると、小森沢であった。
「小森沢、いかに?」
と声をかけると、小森沢は物も言わずに謙信の馬の手綱を取って向きを替えさせ、元の方角に馬を懸けさせた。
「小森沢どの、いかなるふるまいか」
近習の者たちもあとについてくる。
小森沢、しばらく馬を引き戻して岩陰に入ると、にっこりと打ちほほえみ、
「お館様、お久しうござる」
とあいさつした。
「いかなることか」
「なに、この数町先に敵方、鳥銃(火縄銃)三挺を並べてお館様のお通りになるのを待っておりますのじゃ」
「なんと」
小森沢曰く、
日頃軽き働きを成し給ふに付、箇様の大事あるべきかと思ひ、新田へ参り奉公しけり。
「以前からこういう軽々しいことをなされておられますから、そのうちこういう(待ち伏せ)に会われるであろうと思い、この上州・新田あたりが危うかろうと推し測って、こちらに来て奉公しておりましたのじゃ」
これを聴いて謙信は涙を流し、その忠義に感心した。
「それにしてもよくぞここまで走り来たりましたな」
と近習問うに、小森沢、
「それはそうじゃ、わしはいつも新田で「謙信公の顔を見知るのは上州ではわし一人でござろう」と吹聴しておりましたから、新田の衆からは、
輝虎を汝見知りたるかと申して指越(さしこし)候。
「おまえは輝虎の顔を知っているであろう。どれがそれであるか確認してくれ」と言われ、怪しまれぬように先んじて来ておりましたのじゃからな」
一同、その智慧と胆力に感服し、改めて
輝虎の明鑑に服せり。
謙信のひとを見る目の、かがみのように澄んでいるのにおそれいった。
のでありました。
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「名将言行録」巻十二より。なんとなくスパイとして送り込んであったぽい気もします。
が、よく「忠誠心が足りない」と批判されるわしの会社での行動も、この小森沢某の行動との対比で見ていただければ説明というか弁解?ができる?ことが多いのでは?だめですか?