明治173年10月3日・・・といえば、西暦では? もう過ぎたのかいまだ来ぬのか、わしの老いた脳みそでは計算できませぬので、みなさん計算してみてください。
この日は
秋の空いと晴れ渡って一点の雲も無く、広き東京城中は家ごとに日章の国旗を翻へし、街上を往来する馬車・人力車はサナガラ織るが如く
であったそうでございます。
さて、今日は第百五十年目の帝国議会の開会の日、ドンと東京中に響き渡るほどに祝砲が鳴る中、街中に太平を謳歌しながら二人向かい合いし老紳士あり。
老紳士たちの言を借りれば、今(明治173年)の世の中は次のようになっておるそうなのです。
・・・・・左様左様、お互いに此の繁栄の世の中に生まれて、安楽に老年を過ごすのは、誠に仕合せなことで御座います。
今や、
・東京は一面に煉瓦の高楼となり、
・電信は蜘蛛の巣を張った様にて、
・汽車は八方に往来
・路上の電気灯は白昼に異(かは)りません。
・東京港には万国の商船を繋いで、
・商業の盛んなることは、龍動(@)・巴里(A)をもしのぎ、
・陸に数十万の強兵あり。
・海に数百の堅艦を泛べ、世界中日章旗の翻らぬ場処も無い。
・教育全国に普及して、文学の盛んなる万国中にも比ぶ無く、
・上に至尊至厳の帝室あり。
・下には知識・経験に富む国会あり。
・改進、保守の両党の競争で、滑らかに内閣を交代し、憲法よく確定して法律よく整ふ
・言論も集会もことごとく自由
―――さて、平成23年の今日、このうちのいくつが実現しているのか?(ちなみにAはもちろん「ぱりい」。@は「ろんどん」)
老紳士たちは、かような聖世をきたしたりしも明治23年の国会開設以降のこと、その前の
明治十三四年の頃には政府と人民の間に種々の軋轢がありまして、十六七年に掛けては世間が大不景気で、民間に政治思想が無くなって仕舞ったト云ふ
時期のことなど、昔語りを始める・・・・。
・・・これは、どう考えても「大鏡」の大宅ノ世継と夏山ノ繁樹の昔語りのパロディですが、この書はさらに手が込んでおりまして、この二人の会話によりますと、
先日の大雨で上野博物館の後に当たる鶯谷の崖が崩れると、其の中から一の石碑が出ました
というのである。
この石碑にはその困難な時節に国会開設に尽くした人物の功績を顕彰する碑文が刻まれていた。これぞこのローマンスの主人公・鶯溪先生の伝である。
祝砲震天国会逢百五十回開期
断碑出地父老想十九世紀名士
祝砲天を震わせて国会は百五十回の開期に逢い、
断碑地を出でて父老は十九世紀の名士を想う。
祝いのドンは空に響きぬ 今日国会は百五十年めの開会式
欠けた石碑が地中から出る じいさんたちは十九世紀の英雄について語る
バン! バン! (←机を扇子で叩いている)
末広鉄腸「雪中梅」の「発端」でありマス。明治十九年の上梓ということでありマスから、今から何年前だ? ああ、わしの老いた脳みそでは計算できませぬので、みなさん計算してみてください。
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というわけで、今日から「雪中梅」を読み始めたよー。今後おもしろい記述があったら報告します。清・乾隆のどろどろ恋愛伝奇「孝義 雪月梅」は十年以上前に読みかけてイヤになって放り出したが、「雪中梅」は如何でしょうか。壮士も出てくるみたいですぞ。